むっしむし

 たぶん気温は今日よりも低いのではないでしょうか?でも、頭が重くなるって思うぐらい蒸し暑い・・・名古屋市の南の方では夕立みたいな雨が降ったりやんだりしているみたいですが、中区は曇ったままです。一雨降ってくれれば、もうちょっと涼しく感じられるのかなぁ。もっと蒸し暑くなるのかなぁ・・・
 それはさておき、読み終わった本です。

伊達騒動と原田甲斐 (読みなおす日本史)

伊達騒動と原田甲斐 (読みなおす日本史)

 あ、1970年に出版されたものの再販だったんだ。だからですかね。『伊達騒動』と言われてもピンとこなかったので、ピンとこないものを読んでみようかと。
 江戸時代の三大お家騒動の一つらしいです。他の二つのうち、一つは前田家の騒動だそうです。それをネタにした時代劇映画を見たような気がする。あとのもう一つは知らないです。ウィキペディアを調べれば解るだろうけれども、まぁお家騒動という奴は織豊期に活躍した大名に成り上がった世代、大大名に成長した世代の当主が死去すると、その個人的な才能によって統率が図られた大名家家中が混乱し、勢力争いが発生。それにより片方の派閥に属した者が大量に失脚、殺害され、混乱を収められなければ幕府によって取り潰される・・・というのがアタクシの認識です。
 伊達騒動は、幕府と軋轢のある後西天皇と血縁関係にある伊達綱宗が忌避され、まだ赤ん坊の、のちの伊達綱村家督相続された事による、後見人と家臣たちとの軋轢が発端だと言います。後見人たちは他の藩と同じく藩主による中央集権を志向し、経済官僚的な家臣たちを処分。もともとはその経済問題が発端でして、藩の処置に納得できない宿老の一人が本人一族処罰覚悟で幕府に直接訴えるという・・・
 ここで伊達家というのは、小規模な幕府のような構造をしており、つまり、大小領主の集合体であり藩が年貢を一括して換金し、給金を家臣に渡すシステムには、幕末までできなかったという特色があります。つまり・・・一万石前後の大名級知行を持つ家臣たちは、藩外に独自の姻戚関係を持ち、その係累をフル動員して自らに有利な判決が出るように持って行ったと。
 んで中央集権推進派が意見聴取に幕府に呼ばれるのですが、推進したのは後見人の一人と牢人から採用された実務官僚で、呼ばれた家老は係累から乗っかっただけという人。中央集権という今までとは違う事を行おうとすれば多くの軋轢を生み、対立派との意見対立は必至ですが、乗っかっているだけの人なので、言い抜ける準備も覚悟もなく、自派の参考人は自分だけ。自分の意見だけが浮いてしまい信憑性がない。精神的に追い詰められて対立派の訴人、参考人を逆上の上、刃傷、まぁ脇差で一人残して皆殺しにしてしまい、本人も裁判所に使われた酒井雅樂頭の屋敷の家臣たちに討ち取られるという。これは江戸城で刃傷事件を起こした事に準じられ、問答無用で刃傷を起こした家老一族は断絶、幼い孫まで殺され、生き残ったのは女子だけという。
 弱い人間が事件を拡大してしまった事例、と言うべきか。小説化されていますが事件を真逆に解釈しているそうで、あ、族滅された『原田甲斐』という家老一族が可哀そうだからかなぁ、と思ったり。
 知らなかった事を知るのは、楽しいですけど、うーむ、特に原田甲斐という人物には同情できませんでしたね、自分は。それまで体制派で彼らの不正よりいい目を見てきた訳ですもん。
 ちなみに後見役はお家取りつぶしで『〇〇家預かり』という一種の流刑に、官僚たちは解雇されたり、ぬっ殺されたりしたみたいで、我を通して幕府に訴え、殺された原告は『忠臣』扱い・・・こういう話を聞くと、ま、覚めますよね。はい。