ぶいぶい言わせる

 扇風機かけないって昨日書いたのに、タイマーかけるの忘れて一晩中、扇風機をかけていたものですから・・・なんか肌寒かったです。う、ヤバイ。夏風邪ひいてまう。気を付けないと。
 題名はですね、語源がこれかと思ったものですから。

秀吉の武威、信長の武威:天下人はいかに服属を迫るのか (中世から近世へ)

秀吉の武威、信長の武威:天下人はいかに服属を迫るのか (中世から近世へ)

 武威→ぶいぶい・・・あ、すんません。
 言ってしまえばプロパガンダの話ですね。まとめてしまうと、信長の場合は戦争が念頭にあり、戦争を戦略的に優位にすすめる為に、つまり味方をつくる為に自身の武勇を宣伝し、また自らの戦争を正義と位置づけているようですが、秀吉の場合は戦争後の統治にまで踏み込んでいる、といいます。
 信長という人物はあまり自身について多く語らず(残さず)、その分、想像の余地がありファンタジーが広がる、みたいな事を書いてみえる感じ?確かに『天下布武』は室町将軍=天下人が支配する領域、世論を『天下』と定義し、その『天下』を武力をもって治安維持=『静謐』にするというスローガンな訳ですが、その『天下』の用法が将軍領域から信長領域になり、その信長領域の拡大とともに『天下』も拡大しているようなイメージがあります。その拡大する領域をとにかく戦争と対義する『静謐』=治安維持状態にするまでしか、信長は自身の統治を示していないのですね。
 信長の後継者としての秀吉の功績が「信長存命なら同じような、もっと革新的な展開になるだろう」という願望を下にして解釈されている。つまりそこから類推して信長のイメージが増幅していく、みたいな。
 しかし新鮮だったのは、同時代資料から伺えるのが結果的に武田氏殲滅戦になった天正十年の武田攻め、京都を出陣する織田軍の一般兵士は『しおしお』とした様子だったようで、当時の武田、上杉の『精強』伝説は根強く、信長自身も調略が進んだ信濃を切り取る、奪取するぐらいの感覚でいた、という点。まぁ信忠軍の予想以上の快進撃に信長が心配して、自分が到着するまで待ったをかけるほどでしたからね。
 そっか。『しおしお』なんだー・・・なんか可愛いですね。本人たちは意気が上がらず絶望状態なのでしょうけれども。