ルーシー・モード・モンゴメリの闇

 結構気軽な読み物として借りたつもりが、実はかなり深かった。という。

 まぁ岩波現代文庫に収められている時点で、そんなに軽いものではないよね、と気づくべきでしたが。
 70年代から二十年ぐらいの間、日曜日の午後七時半だったかな?世界名作アニメ劇場というものが放映されていましたが、自分が一番記憶にあるのが「赤毛のアン」でした。なんででしょうね?たぶん放映中に劇的に主人公の容貌が変化し(やせっぽっちの少女が、スリムで知的な娘さんに成長していく)、身内の悲劇で、その野心を満たされなくても、それなりに幸せを見出していく、っていうのが、何か気に入ったのでしょうね。
 んで、二十代から少しづつ新潮文庫版のアンシリーズを読み始め、結局四十代に入って娘の話まで読み終えて感じたのは・・・あ、アニメ化された部分が一番面白かったわ・・・でした。
 この本はそんなアンの著者ルーシー・モード・モンゴメリの評伝を中心に、彼女の矛盾と心の闇を覗き、そしてついには矛盾を克服できずに「自殺したのだろう」というお話です。視点がジェンダーですので、まぁそんな感じなんですが。母親が幼児期に亡くなり、再婚した父とは別居。母方の厳格な祖父母に育てられたモンゴメリは「愛される」という行為を知らずに育ちます。一方父方の祖父は政治家であり上院議員であり、その孫であるという自意識が彼女に芽生え、いずれ一角の、得意の文学の世界で名を成そうと決意します。それなりに優秀なのですが、それ故に天啓が不足していると自覚し、そして職業婦人として結婚せずに生きる事を恥じとし、恋愛に溺れる事に恐怖し、知的で社会的地位があるけれども、愛していない牧師の夫と結婚。作家としての名声を得て収入も自立できるほどありながら、牧師の『賢婦人』として振る舞います。
 んが、これってストレスを発散するところがないですよね?売れるから書いているけれども、自分の作品をそれほど評価していない。愛していない夫に対して完璧な主婦を演じている。鬱になるのも当然ですよね。夫も鬱になるよ。自分は愛しているけど、妻は自分を愛していない事が、すごく理解できる。その妻は浮気をしてくれるなら責める事もできるけれども『完璧な主婦』を演じている。うわー・・・イヤすぎ〜。
 時代とか教育とかのせいにする事もできるけれども、その彼女が描いた「赤毛のアン」が何故50年代から最近になるまで日本人女性に特に受けたのか、という分析に入ると、ああ、まぁ、そうだよねー、になります。
 現代は少子化の時代ですが、それはある意味、女性に対する「〜しなければならない」の強制が減り人生の可能性が増えた事を意味するといいます。ときどきねー、自分も強制したくないし、強制されたくない。愛し愛されたいけど、制度ではめ込むのも違う気がするよねー・・・と感じて、この年になっちまいましてね。
 今後どうなるか解らないけれども、ま、ストレス溜めない人生を目指したいと思うのですよ、はい。