読んだと言えるのかしら

 以下の本の事です。

豊国大明神の誕生:変えられた秀吉の遺言 (中世から近世へ)

豊国大明神の誕生:変えられた秀吉の遺言 (中世から近世へ)

 原文や読み下しが掲載されているので、その分紙面が圧迫されている感じがあるのですけれども、まぁ何となく内容は把握。
 豊国大明神豊臣秀吉が神格化されたものなのですが、この神号、秀吉が望んだものではなかったそうです。
 秀吉としては当時流行だった、地元の英雄とかを神格化した『新八幡』という八幡神の一柱になりたかったらしいのですが、朝鮮侵攻に際して明国との和平に関して、どうも明よりも日本の方が格が高いとか、同等とか言いたいが為に豊葦原中津国という日本の美称から取った、言ってみれば『日本大明神』的なものに変更したようです。
 こう書くとなんのこっちゃ、になるのですが、明が和平を結ぶにあたり秀吉を『日本国王』に封じようとするのですが、そうなると天皇と秀吉の関係はどうなるの?と明側は考えました。そしたら日本側使節内藤如安が「天皇は信長に殺されました」と虚偽の答申をした為に、んぢゃあ秀吉を日本国王にするの、問題ないね!!ってやっちゃったらしいです。
 国際的に存在を抹殺された後陽成天皇は「大陸に攻めていった英雄秀吉を日本の神にする」という行為で、その存在を棚上げしたかった・・・らしいです。ま、後陽成天皇自身、秀吉の大陸侵攻政策にノリノリだったらしいのですが。
 秀吉死後覇権を握る徳川家康は、秀吉が罹病したあたりから豊臣姓から源姓に変更を考え、その為に源氏の守護神である八幡に秀吉がなってしまうのは、はなはだまずい、と考えたらしいです。
 豊臣家は、明国よりも仏教や神道が盛んな日本の方が格上!!と言いたいがために寺社仏閣を盛んに修繕、建築したようで、日本を代表するという『豊国大明神』という神号になるのは望むところだったようです。
 江戸時代に廃絶されてしまった社殿は明治になって復活します。日本を代表し、海外に侵攻した強い神『豊国大明神』を明治天皇が欲した為、とも言えるそうです。
 そっか、中村公園もだから比較的新しいのね・・・