軽くない衝撃

 今年の深淵オンリーコンでのGM依頼している方の中で、個人的にもっとも期待していた方から『TRPG活動休止』宣言をいただいて、衝撃を受けています。深淵のシナリオへの悲劇性の比重がかなり高い方(のように見えたの)で、個人的にそういうシナリオが描くのも演じるのも好きだったので、期待していたのですが、残念です。あふぃー・・・
 ま、絶版システムのGM探しは困難ですよねー・・・
 さて、自分はやれる事をするしかないので、できる機会に告知とか、セッションとか、ひたすらやっていくしかないですよ、はい。
 んで、昨日の記事の続き。
 鎌倉幕府の滅亡原因が状況証拠で二つあるかなーって話ですけど、一つは『組織の形式化』あるいは『先例重視主義』ですかね?北条時宗執権時代ぐらいまでは、比較的にせよ幕府は実務能力の高い人間が高い地位につく傾向がありました。例えば執権と並び称される連署は、執権の補佐というよりも執権の後見役というべきもので、執権が北条得宗家を始めとする家格の高い『ぼんぼん』でも若年で就任できたのに比べて、連署は執権よりも十年以上年上で経験も豊富な北条家の長老格が選ばれる傾向にありました。
 また時宗期までは家柄よりも個人的能力で要職にある傾向があったのですが、霜月騒動時宗外戚の安達家が没落、平禅門の乱内管領平頼綱が滅亡して、しばらく北条貞時は独自の組織で幕府を運営しますが、破綻。んで何やったかというと、父北条時宗期を回帰すべき盛期と位置付けて、その時代に戻ろうとするのですよ。外戚に安達家の生き残りを、内管領に頼綱の一族長崎家を据えて。
 ここには彼らの能力で抜擢した、という形跡はあんまりないです。ただその一族だから、という理由だけであり、幕府末期に両者は権勢を誇りますが、しかし特に何ができた訳でもなく、長崎家は幕府衰退の権化のように言われますが、安達家に関しては『誰がいたっけ?』って感じです。
 つまり彼らは、その一族がその地位にいたから幕府盛期があった。だからとりあえず彼らをその地位につけておこう。角がたたないし。という理由だけで幕府権力者になった、ように見えるのです。
 これは幕府執行部の実務能力に疑問を感じさせる事態ですよね?能力で選ばれた訳ではないから。
 そして明日はもう一つ。たぶんこっちが決定的な理由ではないかと思う事を書きます。
 はぁ。しかし・・・衝撃だったわー・・・