よみおえたー

 はい。これを読み終えました。

 自分以外のは方は「なにそれ?」だと思います。自分もうろ覚えです。しかし覚えていたから反応して借りました。
 時は十世紀。イスラムが勃興して三世紀が過ぎた頃。カリフを信徒の長と仰ぐだけでなく政治的主権者として認めていた時代が崩れていった時代です。カスピ海南岸の山岳地にいたダイラムという武装集団が、地方の政権支配者の先兵となって軍事力を担うようになり、その一人イマード・アッダウラがファールス(ペルシア湾北岸地域)に割拠し、弟たちを派遣してイラク、ジバールを領有。アッバース朝カリフの首のすげ替えを行えるまでになりました。以後だいたい120年ぐらい、イラン南西部からイラク中南部にかけて勢力を持った連中です・・・王朝とか言えばいいぢゃんと思うでしょ?
 連中としか言えないのですよ。何故か?政権の長はブワイフ家の者が収まるのですが、統一政権になった試しが・・・短期間しかない、というものでして。初期は兄弟、従兄弟が最年長の一族のものに服する、家父長制みたいな連合状態。
 一度アドゥド・アッダウラという人物によって一旦統一されるのですが、彼が数年後に亡くなると、彼の息子や甥たちの間で殴り合いが始まり、以後、優勢になった政権が他を圧するけれども服従する事はなく、一族間で綱引き状態になり外部に侵攻する事はなくなる・・・という存在に。
 このダイラムという連中、例えるならば鎌倉御家人みたいだなぁ、と。ブワイフ家自身もその出身で、彼らからみれば仲間の代表者であって主人ではない。その支持を得る為に領地や俸給を保証しなければならない。そして彼らこそがブワイフ朝君主の力の源泉であったと、同時代資料を使用して著者は主張しています。
 何故か?比較的資料が残っているイラクの状況からダイラムたちではなく傭兵であるアトラークを重用した、ダイラムは排除されたと従来の研究は言っているのですが、それだと再度覇権を握ったイラクのバハー・アッダウラという人物が、わざわざ傭兵主体のイラクを捨てて、ダイラムの本拠とも言えるファールスに本拠を移転する意味が解らない、というのです。
 まぁ、だから日本人の世界史的感覚にブワイフ朝が親しみが持てる存在成るか、というか、そんな事はないのですが。
 こういう研究が大事なのですよ。ええ。