鼻うがい、難しい

 良くえずるんですよ。鼻の奥から鼻水が喉に向かって流れている・・・垂れている?のが解って、それで吐き気ぢゃないけど、違和感があって、これは鼻うがいをしないと、と思い購入して一日一回帰宅時にやろうと。ところが、これがなかなか鼻から口にうがい液が流れてこない。鼻の穴から逆流するばかり。これでも洗浄になりますよー、とは書いてあるけれども、上手くできないと、鼻の奥の鼻水・・・もしくは痰みたいなものを一掃できないですよねぇ・・・練習あるのみ?
 さて、読み終えたもの。

羽柴家崩壊:茶々と片桐且元の懊悩 (中世から近世へ)

羽柴家崩壊:茶々と片桐且元の懊悩 (中世から近世へ)

 著者の黒田基樹という方は、どちらかというと北条氏とか東国戦国大名の研究が専門という印象があります。ものすごく多い論文数・・・ですが、この本は2016年の大河ドラマ真田丸』の歴史考証に関わった関係で羽柴家の資料に触れる事があり、それで感じた事を2017年はまとめてみえます。『豊臣氏』は『源氏』と同じく氏であり、厳密にいえば豊臣秀吉羽柴秀吉のまま。羽柴家の支配だから豊臣政権ではなく羽柴政権と呼ぶべきとか、なかなか面白いです。
 その延長で論じられたのが関ケ原合戦後の『羽柴家』、そして現在写しの形ですが残っている、片桐且元淀殿(というよりも茶々と呼称した方が適切と言われています)、秀頼の決別までの十三日間の書簡を下に、大坂の陣に至るまでの彼らのドキュメント、みたいなものが、この本です。
 概観すると当時の羽柴家には片桐且元とその弟貞隆以外に執政経験者がほとんどいない状況。当初は数人いた秀吉以来の家臣たちも、あるいは領国大名に、あるいは死亡と一人づつ減っていったようで、幼い秀頼はもちろんの事、政治的経験をほとんど積むことなく秀吉後家として羽柴家の家長になった茶々も、片桐兄弟に頼り切っていたようです。その権力は絶大で、七つある大坂城の城門のうち六つまでを片桐兄弟が管轄。領地支配も全て彼らが仕切っていました。
 この状況で、江戸幕府が羽柴家も『先の天下人の家』ではなく、幕府に従う一大名として立場を変える事を要求。これが方広寺鐘銘事件なのですが、ここで片桐且元も要求に屈服し、一大名家として羽柴家を存続させる事を志向します。秀吉が同じように主家織田家を地位はあっても実力ナシという状況に追い込んだ過程を、家臣の立場で見ているのですから。
 ところが茶々からすると政権主催者の立場でしか経験していない。『特別な』羽柴家以外の存在をしらないので飲み下す事ができない。その意向を慮って、織田有楽、頼長父子と大野治長片桐且元兄弟を攻撃しようと身構える。且元は防衛行動はとりますが、出仕しない状況になります。
 どうも実務に関わっていない他の家臣たちは、豊臣恩顧の大名たちの、羽柴家を支持する力が薄れている事にすら気づいていないようで、彼らも片桐兄弟を追放、外交窓口の追放は交渉決裂を意味し、激怒した家康から攻撃され、冬の陣を経験した彼らは、ようやく現実に目覚め、和平を志向するのですが、参集した牢人衆はあくまで決戦を望み、織田父子は退出、羽柴家は滅亡となります。
 これ、ドキュメント風のドラマにすると面白いと思うのですが、どうでしょう?