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 昨夜は色んなジンをしこたま飲みました。例によってストレートです。今の自分にはウィスキーはアイラ系以外は全部同じに思えるダメ舌の持ち主ですけれど、ジンはフレーバーは異なるものが多く、その変化が楽しくて仕方ないです。また買い置きするかのぉ。
 あと、念願のブラッディ・シーザーというカクテルが飲めました。確かに薄めのミネストローネな味やね。機会があったら頼もう。
 さて読み終えたもの。

戦争の日本中世史: 「下剋上」は本当にあったのか (新潮選書)

戦争の日本中世史: 「下剋上」は本当にあったのか (新潮選書)

 鎌倉末期から応仁の乱までの外観です。著者が新書としては記録的に売れた『応仁の乱』を書いた方で、自分よりも十歳ほど年下の、つまり新進気鋭という言葉が相応しい研究者の方です。なので戦後の学会を規定していた様々なものに疑問を呈し、別角度の視点で考察する事を提案したり、試みたりしています。
 まだ『観応の擾乱』が世に出る前の本なので、室町幕府の、本当の意味での存在意義に関しては、ぼやっとしている感じはありますが。
 しかしここに書かれているのは、戦国時代ではシステム化されているけれども、それがなされていない『戦争』の姿と言えるかな?手弁当で戦争に参加する限界と、それで生じる悲劇によって南北朝期の戦乱は武士や荘園領主たちに経営の変化を求め、馬鹿正直に上位権力に答えた方が衰退没落している、という事実がね・・・
 結局のところ内乱で遠征を実行するだけの技術が未発達であり、中央政権が地方の自立を認める事によって南北朝の戦乱は終息していきます。度重なる戦争で疲弊し、厭戦気分が蔓延していく中、相手を屈服させられないならば相手と妥協して平和を獲得していく。室町体制とはそういうものだといいます。
 ところが六代将軍義教が生真面目に反対勢力の屈服を要求。しかし方法論や技術的な問題は解決されておらず、強行した結果、自らは暗殺され、その政治手法を近眼視的に行った為に八代将軍義政は混乱を、ひいては応仁の乱を引き起こした、と言えるのではないかと。
 まぁ結びで『平和』に関する記述があって、日本の平和主義者は万一起こる戦争の場合、どういう行動をとるべきなのか、非現実的な事を述べる場合が多いのですが、『永世中立国』は自らの血で戦争から距離を置くことを決意し、周辺関係国全てとの関係悪化も辞さない覚悟を持っている事を理解しているのかな?と思う時があります。
 実を言うと戦争に至るのは大変簡単で、平和、いや日本の安全を確保する事は不断の努力が必要であり、それをちゃんと認識しているのかが疑問なのです。平和とはきれいごとで維持できるものではない。妥協とはお互いの主義主張、利害をすり合わせて協力できる点を見つけ出す作業であり、いい言葉だと思うのですがね。