文化の独自性

 よくオリジナリティという言葉を聞きますが、これほどあやふやな概念はないのではないかと思うのです。創作している人間ならば、誰しも心当たりがある事ですが、何かを作り出す時、完全にゼロの状態から作り出す事など不可能であり、例えば四季折々の景色、匂い、音。音楽、人様のつくった被造物、絵画、小説、映画、漫画、詩、そんな色んなものに影響されて初めて作り出す事ができるものです。
 何がしかを部分部分模倣して、他人にはそれと解らなくできればしめたもの、みたいな。
 どっちがオリジナルとか、そんな論争こそ無意味だよなぁ、と思ったのが、この本でした。

海の向こうから見た倭国 (講談社現代新書)

海の向こうから見た倭国 (講談社現代新書)

 言ってしまえば朝鮮半島南部の諸地域と日本列島各地の(特に海岸線のある地域の)諸勢力は、個別でも交流を持ち、様々な文化、技術のやりとりがあったという事です。政治的な背景を持ちつつ。
 朝鮮半島の諸勢力は倭の勢力と交易し、文物や威信財を示す事で、自らの独自的、独立性を他の(特に中部、北部の)勢力に対して示そうとします。また地域の覇権国家である特性、外国との通交を持っているという事を示しています。
 日本列島の倭の諸勢力は先進の文化、技術の導入、そしてやはり威信財を手に入れて、他地域との区別、そして覇権を主張する訳です。お互いがお互いの存続の為に利用している訳で、日本書紀が言うような大和朝廷への朝貢という訳ではないようです。
 前方後円墳や倭式墳墓が朝鮮半島南部でも発見、発掘されていますが、彼らは倭からの渡来人であったり、中北部勢力に対する独自を主張する象徴として作ったというのが妥当な見解だと思います。未だ日本列島を統一していない(というよりも緩やかな連合体)大和王権が海外に後年の植民地みたいなものを形成できるほどの実力があるとは思えません。『磐井の乱』平定も首謀者の処罰にとどめ、北部九州の支配者層を根こそぎ滅ぼすには至っていないようです。そこまでの完全制服を行える力はなかったとみるべきではないかと(補給、遠征軍の士気、様々な技術を始めとする問題が横たわっていますからの) 
 文化とは互いが影響し合い、それぞれが良しとするところを選択してはぐくんでいくものであり、技術的な優劣は存在しても、それ以上のものではないのだろうと感じました。
 ま、そういう視点ぢゃないと古墳時代は説明しきれないと思うのですがね。