眠い眠い病

 熟睡していないのでしょうか?眠りの質が問われています。というぐらい土曜日は寝ていました。
 金曜日の晩に急遽飲みが入り、しこたまの手前ぐらいまで飲んで土曜日は予定がないから爆睡だーって感じでした。んが、最近の寒暖の差をご想像ください。寝付く時は扇風機をかけ、明け方肌寒さを感じて布団をかぶる・・・ですよ。はい。十時ぐらいに起きてブラウザゲーと掃除の真似事をし、昼飯を食べ、昼下がりに睡魔に襲われて昼寝を四時間・・・夢のようですが、今度は夜に寝つきが悪くなり(あたりまえですねー)、翌日の日曜日も眠いという悪循環・・・まぁ竜舞亭のセッション中は居眠りしませんでしたがね・・・セッションに集中していたのかな?まぁアタクシのキャラは最後の戦闘でグッバイしましたがね(つまり完全死亡
 どう助けるかは、掲示板での話し合いで決まりますが、次回で長かったキャンペーンも終了です・・・ま、シナリオにキャラを最適化させる事もなく、まったりと過ごした為に、結構綱渡りになっちゃったりもしましたが(主に自分のキャラ)、なんとか終わりそうですねー・・・
 んで昨夜は、まぁ寝つきは悪くなかったですよ?はい・・・んでも目覚めはムリヤリでしたがね・・・
 あ、さて、そんな中で読みおえたもの。

 
 はい。戦前は、そしてご年配の方々を中心に『まだ』南朝スキーな方にとっては『忠臣』な新田一族とは、どんなものだったのか、という論文です。
 まず新田氏は鎌倉幕府体制下では、最初はそうでもなかったのですが北条氏が実権を握っていく過程で徐々にその権威を失っていきます。自らの失態がほとんどなんですが。んで、その失われた権威の回復を足利氏に従う事で、権益と権威の回復を図ったが故に、『足利一門』と世間から認知されるようになりました。
 倒幕行為すら足利氏の指示のもとに行われたらしいです。そして武士の中では第二位の勲功を得ました。が、やはりトップは足利尊氏でした。その尊氏が本人はしぶしぶでしたが、建武政権に反旗を翻し、朝敵にされた際、北朝をいただく事になった時、新田義貞を朝敵に仕立てたのですが、ここで足利氏のプロパガンダが『新田氏は源氏の嫡流候補』みたいな事を始める訳ですよ。
 源氏の嫡流そのものは鎌倉時代では北条氏と足利氏の合作によってつくりあげられた認識でした。鎌倉将軍に供奉する源氏一族第一人者という形で。だからこそ足利氏こそ武士の第一人者という認識も広まっていたのですが、ここで自らの一門であるはずの新田氏を自らの『強力な』対抗馬に仕立て上げ、彼らを打倒する事で『足利氏こそがやはり源氏の嫡流』という認識を再確認する作業をした、という事です。
 そして新田氏側も十分承知しており、そのプロパガンダを逆利用して足利氏に反抗を続けました。ただ新田義貞にしてみると後醍醐天皇は『裏切り者』です。けしかけておいて、勝手に足利尊氏と和睦をされてしまい、憤激して後醍醐天皇の皇子を奉じて別個の勢力として活動を開始しようとしました。が、その矢先に戦死してしまうという不運が、彼を『忠臣』に仕立て上げたようです。
 ま、そんな感じ?