読み終わった文庫本

 休み中に、そして昨夜も読み終わりました。あ、新書もあったな。

 あんまりメジャーぢゃないけど、室町幕府体制というものを決定づけた乱と言えます。
 足利直義の野心から始まった(と著者は解している。自分もその考え方はアリだと思っています)建武政権への反抗、南北朝の成立ですが、北朝側が軍事的に南朝を圧倒し始めた頃から始まった高一族への反感がきっかけでした。
 初期の室町幕府足利尊氏は恩賞のみを扱うお飾りも同然であり、事実上の政権首班は弟の足利直義でした。彼は鎌倉幕府を規範とし、その政権運営の柱としていました。高師直はその『足利家』の執事として、室町幕府を支えます。この執事という奴も鎌倉幕府体制を引きずっていまして、北条家においては御内人を統括する内管領と称されたもの。つまり執事は足利家家人を統括する役割を持つ文官だったのですねー。
 ところが世は戦乱であり、文官として統治していられる場合じゃない。軍事的才能も求められる。高師直、師泰兄弟はそれに答えて大活躍し、南朝を滅亡寸前まで追い詰めます。ところがその後に起こったのが観応の擾乱という幕府の内訌であり、不可解な内乱でした。大雑把に言って尊氏・師直派と直義派に分かれるのですが、両陣営を構成する武将たちの顔ぶれが定まらない。時と場合によってあっちにいったり、こっちにいったりしている者が大半です。
 この理由を著者は恩賞の遅れと理解しました。鎌倉幕府は理知糾明をモットーとし、訴人、被告人双方の言い分を吟味して、どちらが正しいかを決定する方法を取っていました。これは正しい事なのですが、双方の言い分を調べるのに時間がかかり、しかも決定に執行力がない。今も昔も訴訟には金がかかり、その挙句に勝ったとしても自力で相手を追い出さなければ自分の土地、権利を守れないのですよ。馬鹿らしいですよね。
 足利直義はこれを行い、高師直はその執事として執行しました。矢面に立つ師直に不平が向けられ彼は失脚。クーデターで巻き返しますが、結局滅ぼされてしまいます。では直義は政策の軌道修正ができたのかというと、この前後から無気力な態度になっていきます。何をやっていいのか解らない。四十を過ぎてから得た嫡男が夭折。兄尊氏とは争えない。ストレスから病を得たのかも知れない。諸将の失望を買った直義とは逆に、尊氏は自分の息子義詮に室町幕府を託す為に、その政策に手をいれます。簡単です。恩賞を求めてきた者に与える。訴人の言い分を認める。複数訴人がいる場合は、もっとも日付の古い者の言い分を認める。乱暴ですが、訴訟のスピードがアップし、案件処理が速くなりました。人々が求めているものがコレだ、と見えていたのですね。
 息子の義詮はその方針にのっとり幕府の組織を作っていきます。事実上、その後の室町幕府体制の基礎は義詮がつくったとも評しています。
 そんな、いまいち不可解な内乱に一つの答えを出してくれた本でした・・・あ、他の文庫本を書く余裕がなくなっちった・・・