更新に一時間もかかりよった

 そして日記の打ち込みも遅くなっている・・・おのれm・・・いやいやいやいや・・・
 土曜日はまったり。日曜日は、とらいあどさんではっちゃけ。月曜日は、オクトーバーフェストで、ぶっひゃっひゃっ・・・でござりました。
 まぁね、夏バテ気味もありましてね・・・年をとったという事もありますか、酒もそんなに飲めない、というか自重したし、お腹もそんなに減らなかったけどね・・・でも、どう考えてもオクトーバーフェストでは2リットルは飲んでいるよね・・・ふーむ(あ
 九時までにこの日記は書きあげて仕事には支障がでないようにしているのですが、前述したようにPCの更新で一時間もかかってしまい、今、日記は絶賛仕事時間に食い込んでいます。ので、手早く書き込みます。

足利義稙-戦国に生きた不屈の大将軍- (中世武士選書33)

足利義稙-戦国に生きた不屈の大将軍- (中世武士選書33)

 書面のサブタイトルには異論がありそうですが・・・何度も失脚と返り咲きを果たしているからって、それで『大将軍』というのは何とも・・・まぁいいか。
 足利義政の弟義視の息子として生まれ、後継者なく死去した九代将軍義尚の後を継ぎ十代将軍となりますが、脆弱な基盤を強化しようとして戦争を繰り返して諸大名の支持を失い失脚。その後十一代将軍義澄を支える細川政元が暗殺され、その後継者争いで細川氏が分裂し紛争を開始すると、それに乗じて復権。今度はバランスをとりつつ政権を運営し十年余りを比較的安定した政権になりましたが、細川氏の分裂状態は解消しておらず、そして彼を支えた諸大名も帰国してしまうと在京大名細川氏の分裂に巻き込まれざるをえなくなり、長年自分の政権パートナーだった高国を見限り澄元を選択。ところがこれが裏目に出てしまい、細川澄元は三十代の若さで病死。高国に圧倒され、首のすげ替えをされて京から追い出されてしまいます。
 まぁ二度目の復帰は寿命のせいで果たせないのですが、パートナー選びとしては細川澄元派の方が安定していたらしいです。細川高国大内義興というビックネームと組んでいたからこその存在で、結局再び細川澄元の息子晴元派に打ち破られてしまいます。
 しかし彼をめぐる畿内の争いが戦国時代の地方での紛争の火種になった事は間違いなく、二つに分かれた足利将軍家が互いの大義名分になり戦争を正当化させ、『戦国時代』を現出させたとも言えます。その意味では一つの時代をつくった『大将軍』なのかもしれませんがね。