梅雨らしい雨の日

 しのつく雨というのはいいですね。バケツをひっくり返したような大降りよりも、風情というものがありますが、自宅が密閉性が強いせいか、蒸し暑いのですよ。
 今朝は雨のせいか結構涼しくて過ごしやすいのですが、空調を前提にした家のつくりをしていると断熱性が高くて、何が言いたいかというと、いったん温度があがると下がりにくい。冬はそれでもいいのですが、この時期は寝苦しい。就寝してから一時間で目が覚めるとか、勘弁してください・・・もう・・・明日は昼から飲んだくれる予定なんですから、睡眠を確保させてくださいよ、本当に。
 さて、以前にも読了していたのですが図書館で上下巻見つけてしまったので、改めて塩野七生さんの『フリードリヒ二世の生涯』は読みました。本当は今日の日記はその事を書こうと思って題名も『哀惜』って決めていたのに・・・まぁいいや。
 中世ヨーロッパの歴史を読むと決まって神聖ローマ皇帝ローマ法王の対立が出てきます。そしてキリストの言葉に従うならば『神のものは神に、皇帝のものは皇帝に』という政教分離を行うべきなのに、中世のローマ・カトリックは自らを太陽と称し、皇帝を月と称してきました。それ故に、政教分離を中世で初めて試みたフリードリヒ二世と激烈に戦い、『世界の脅威』とまで称えられたフリードリヒ二世にはかなわなかったので、極めて陰険な手段で彼と、彼の子孫を滅ぼす事になりました。
 それが中世における安定に寄与して、その後中世ヨーロッパが平和と言わずとも小康状態になったのなら納得できたでしょうが、事実は逆で、ドイツとイタリアは無秩序に近くなり、ローマ法王自身も一強になりつつあるフランス王にその身体を左右される事になります。
 人は痛いところをつかれると怒り狂い、自制を失い理性を失い、そして政治感覚を失うという事が良く分かります。ホーエンシュタウフェン家の末路を思うと哀惜の念に堪えません。
 だからねー、宗教関係者が政治に関わるっていうのがねー、すごく拒否反応を覚えるのですよー・・・ろくな事がないって。
 まぁ、これはアタクシの心象であって時事ネタではございませんがね。