お酒はお通じにいいんですよ?

 と、飲酒を正当化する試み。とはいえ母親が三年前に漬けた甘すぎる(父親評)梅酒を黒糖焼酎で割るという乱暴な飲み方でしたが。軽く一杯なので特に問題ないです。ゆっても度数は25〜30ですからね(感覚が狂っている
 それはさておき、本来は昨日書くつもりでいたもの。

下野足利氏 シリーズ・中世関東武士の研究 第九巻

下野足利氏 シリーズ・中世関東武士の研究 第九巻

 近年の資料研究の成果は目覚ましく、その結実の一つと言えます。室町幕府を開いた足利氏は鎌倉時代は有力御家人として北条氏に圧迫された存在で、代々の当主は強制引退、夭折、自害、となかなか悲惨な最後を遂げている事も裏付けとされてきましたが、最近の研究結果では、外様有力御家人としては最も北条氏に寄り添った存在であり、官位的には北条庶子家に匹敵し、所領も北条氏についで広く、家政的にも北条氏に似た組織を持っていて有力被官は北条氏における『御内人』的な存在でした。
 足利義氏の代にそれを確立し、泰氏は藤原系の将軍家に近すぎた為に自主出家という手段に出て自らが罪をかぶる事により足利本体を守ったと言えます。次代頼氏の夭折は仕方なく、自害した家時は一族一門で、鎌倉御家人を二分した紛争『霜月騒動』で処刑された者が出た事の責任を取った、という形になります。
 尊氏の父貞氏は最後まで北条氏に寄り添う姿勢を崩しませんでした。
 尊氏は元々庶子であり、兄である嫡男高義が夭折した為、世継ぎになりましたが貞氏死去まで独自の動きをとる事はできませんでした。執事である高氏との縁が薄く(高氏は本来の世継ぎである高義に近かったので)母方の上杉氏に近く、京の下級貴族出身の上杉氏はその人脈から尊氏に後醍醐天皇方への裏切りを促した、といいます。
 尊氏は苦戦する幕府軍を見、母方親族の上杉氏や一族被官細川氏の意見から反幕府に立つ決意をし、鎌倉幕府=北条氏打倒の主力となります。
 近年新田氏も大きな意味での足利一門であり、南北朝の戦乱期に天皇に敵対するのではなく新田義貞を討つという体裁をとる為に、新田氏を独立した源氏一族と見なすよう、足利氏がプロパガンダを行ったのではないか、という見方が出ています。
 足利氏はあんまり言いつくろわない一族、とかいう評価も学者の中にはあるようですが、この程度の事はやっているんですよねー。
 こういう感じで歴史論文はミステリーの謎解きを読んでいる気分になって面白いのですよ。にやにや。