花粉症の影響なのか?

 実はここんところ、体の各部が軽く痛いです。鼻水は止まったり止まらなかったりです。特に気になるのは左胸で、長くうつ伏せに眠っていた後のように痛みを感じます。内臓系というより筋肉痛に近い気がします。ヒノキ花粉が収まったら治るんですかね?今年は花粉症の症状が軽いなぁ、と思っていたのですが、思わぬ伏兵みたい症状のせいで、春なのにいまいち乗れません。まぁ花粉症を発症してから春は、ちょっと微妙な季節になりましたがね。
 さて読み終ったもの。

 オールドロック好き(年の割には)ハイパーギターテク少女と、曲はいいけど演奏力はいまいちな青年が、ぼーいみーつ・・・にはなっていないけれども、バンドやる、という話。そして冬目さんお得意のミステリアス美女(高校生だが美少女というような可愛げはない)。毎度のこと、ツボをついていただいてありがとうございます。
 軽いのに重い、という感じが好きです。今度の作品も期待しております。
 それから、これも読み直しました。
応仁の乱 - 戦国時代を生んだ大乱 (中公新書)

応仁の乱 - 戦国時代を生んだ大乱 (中公新書)

 前回は読み終える事のみ専念していたので、読み返してみたのですが、あとがきで著者の方が『応仁の乱第一次大戦に似ている』と感想を述べられているところに、応仁の乱の本質があるのかなぁ、と思いました。
 応仁の乱の基本対立軸は新興勢力山名と保守体制派の細川で、最初は対畠山で共同戦線を張っていたのに、足利義政の後継問題で義視を推す山名と義尚を推す細川が対立。話し合いでの決着を目指すも、自らの与党大名を増やす過程で、細川と組んでいた畠山政長と畠山家督を巡って争い続けている畠山義就山名宗全が引き込んだのが直接の発端とも言えます。
 この畠山義就。あんまり幕府の権威を重んじず、ひたすら自らの武力で勢力圏を拡大する男で戦国大名のさきがけの一人といっても過言ではなく、畠山政長は細川や幕府の支援で辛うじて立っている感じ。その義就が政長を打ち破った時、他の大名は手出しするなと足利義政が命じたのに山名宗全はそれを無視したこと。山名の支援がなくても義就は政長を打ち破っていた可能性が高いので、この余計なお節介で政長を支援しながら合戦に参加しなかった細川は面目丸つぶれになり、対山名に立ちあがらざるを得なくなった、と。
 山名=ドイツ、細川=イギリスで政長=セルビア、義就=オーストリアみたいに当てはめると、ああ、なるほどねーって感じになります。応仁の乱も、第一次大戦も短期決戦を志向しながら挫折し、ドイツ側がイギリスの海上封鎖による補給切れで根をあげたのと同じように、西軍の重要な補給路越前の最有力勢力朝倉を東軍に寝返らせて決着をはかったというのも、似ていると言えば似ています。
 だからなんだという訳ですが、こういうことを考えるのも面白いですよね。
 まぁ戦後の展開はまったく異なるので、ほんとに「だから?」なんですけどねー。