少しは大丈夫

 睡魔の方は何とか・・・何とか・・・ってな感じです。昨日は土曜日居酒屋さんで忘れてきたポスター筒を回収し、四月のTRPGコンベンション三つに申し込みをし、艦これの任務をこなしました。おわり。
 まぁ、それで終わるのもアレですので、読み終ったもの(いつもの〜

伊達氏と戦国争乱 (東北の中世史)

伊達氏と戦国争乱 (東北の中世史)

 東北地方の中世史シリーズなんですが、まぁ一番良く知っている時代を手に取って借りてみました。
 室町期を通じて、やはり伊達氏が東北地方最大勢力であり、政宗の時代に急激に拡大した訳ではなく(領国は劇的に増えましたが)、また地域の調停者という立場を取っていた為、後年の述懐はともかく、当時は天下を狙うだの、関東制覇だのはあんまり考えていない、というよりもそれどころぢゃなかったようです。
 地域統一を志向する時期が遅れていたというのもありますし、ゲームのイメージで『北の雄』だと思っていた南部氏が実は族的集合体、族的一揆のようなもので当主にそれほど権力がある訳ではないこと、日本海側の安藤氏の権益を侵略、逆侵攻と、一進一退の攻防を繰り返していた事も知りました。
 しかし一番目から鱗だったのは、東北地方の仏教宗派でもっとも教線を伸ばしたのが曹洞宗、つまり禅宗だと。宗教の最も重要な部分が祈祷だとすると、天台宗真言宗など旧来の密教系宗派が、どうも上層部と下層が遊離してしまい、一体的な行動がとれておらず、にも関わらず天台、真言、両派が袈裟の使用について争うなんて、他者から見ると、呆れちゃう状況だったせいではないでしょうか?一言でいうと堕落していたと。んで、その密教的呪術を執り行い武士以下の下層の人々の需要にこたえる事ができた曹洞宗が支持を伸ばした、という・・・ほーん。なるほど。
 あと、本願寺の檀那が有徳人、つまり財産家、商人が多いという事実を知り、ん?信長と本願寺が十年にわたって争う事になったのは、政治的理由もさる事ながら、経済的な権益が最大の理由になったのでは?と思いました。交通の要衝で商業拠点となった本願寺派寺町に矢銭という課税を吹っかけていますからね。ふざけんなーっと思っても不思議ではない。
 なるほどねー。