ヤンデレ体質

 昨夜ウィスキーのテイスティングに参加してきましてね、七種類ぐらいの日本、スコットランドアイリッシュ、バーボン、カナディアンの五大産地のウィスキーを味わいましたが、喉を傷めて鼻も詰まっていたので、一番味が尖がっているラフロイグ全部同じに感じたのは内緒だ・・・ああ、もったいない・・・
 しかし飲み方としてトワイスアップというのを覚えました。常温のウィスキーと同量の常温の水。それだけを同じカップ(でもなんでも)に合わせて飲むというやり方。それだけで随分ウィスキーが甘く感じました。今朝もですが昨夜は喉を傷めていたので、いつも飲んでいるストレートではきついなと思い、しかし水の味が増していくロックや水割りは嫌だな、と。なら最初から水の量が決まっている飲み方ならどうだろう、と試してみたら、結構はまったという。
 昨夜の一番の収穫はそれでしたね。
 んで、タイトルはですね、この本を読んだ一番の感想でした。

「怪異」の政治社会学 室町人の思考をさぐる (講談社選書メチエ)

「怪異」の政治社会学 室町人の思考をさぐる (講談社選書メチエ)

 怪異というもの、つまりムー的なアレは昔からあるのですが、室町時代のそれは特性がありまして、室町時代は制度ではなく人脈の時代であったと。公的なシステムよりも個人的なつながりが優先される時代なんですね。鎌倉時代は、幕府の中でも鎌倉、六波羅、鎮西などの地方部署があり、また朝廷の裁決機能が働いていたので、一極集中という訳ではなかったのですが、室町幕府は鎌倉府の存在もありましたが、意外に京都の幕府に一極集中していて(鎌倉府と対立していたので、鎌倉の支配が都合が悪い武士は京都とつながりを持ちたがっていた)、もめごとの解決は京都の幕府に持ち込まれる傾向にあり、これを自分に有利に裁決してもらおうと、寺社は自らの神体などに異変が起こったと言い立て、自身に降りかかった問題を解決してくれと、朝廷や幕府に迫った訳ですね。
 なのでヤンデレを想像したと。怪異なんて不健康な現象ですからの。
 しかし応仁の乱、明応の変と幕府体制が弛緩し、寺社の荘園は武士に横領され、問題の解決が滞ると、怪異を頻繁に起こすようになり、当事者自身がその神聖を否定するような行動さえとるようになります。
 怪異とは得体のしれない非常事態ですが、それをやりすぎて価値が下がり、危機感というものを誰も持たないものに成り下がってしまった訳ですね。もうちょっと詳しい事は本に書いてありますが、てきとーな概略はそんな感じ(おい
 そして戦乱が進み、新たな秩序が構築され、人的な交流よりも地縁的団結が主になると、怪異も発生しなくなっていきます。意味をなさないので。
 「幽霊の正体見たり枯れ尾花」ではないですけど、人の気持ちしては、そんな感じなんですかねー。