ようやく「ハリソン・フォード」

 昨夜はSWep5を見ました。ようやくハン・ソロが「ハリソン・フォード」に見えるようになった。ep4では若すぎて別人に見えたのですよ・・・同じ人物なんですがね。やはり三十代過ぎてから活躍している人ですから、その前の顔に違和感があるのかも知れませんね。
 でもep5もロケは雪原でやっている・・・のか?それ以外はないよね、たぶん。
 今夜ep6、観れるかなぁ・・・
 さて読んだもの。

東国武士と京都 (同成社 中世史選書)

東国武士と京都 (同成社 中世史選書)

 二十年ぐらい前に小説家の永井路子さんが戦国大名の尼子氏をコングロマリットと評されたのを聞いたか読んだかしたのですが、この本を読むと平安後期から鎌倉時代に入るまでの有力武士は「商社」ではないかという気がしてきます。
 農地を懸命に耕すのはもちろんのこと、交通の要所や港湾都市を抑えて流通を掌握し、一族の者を「京武者」として送り込み情報収集に努めさせ、中央の政治権力と結びついて地方の特産を納めたり、税を納めたりして、在地の徴税権などの権利を獲得していく。その多角性は現代の商社を彷彿とさせるもので、確かにそれが一番効率的に富を得る方法かも知れないですよねー。
 農業って投資の割に利益回収のスパンが長くて、効率という面ではあまりよくないのですよ。手堅いけど。
 しかし武士というのは「殺人の技」を鍛える時間、人手、装備を得る為にまず有徳人、つまり金持ちにならなくてはならないのですよね。室町時代以降戦国時代にいたるまで、代々の武士でないものが武士化するのは、商人として財を成したものが結構多いのですよね。逆に農業に携わっている者で武士であるものは規模が小さく、目立った活躍をする事例はあまり見た事がありません。
 情報に接し生き馬の目を引き抜くような世知辛さと頭の回転が出世への武器になっているのでしょうかね?