読んだり見たりが多い

 ちょうど昨日の段階で終わったのが三つほどありましてね。

 原作が描いていないところを、原作者の方針を下に描かれた部分です。まぁ原作小説がこれに追い付くことはありえないので、TVドラマが先行逃げ切りでしょう。HAHAHA・・・来年夏でアメリカ本国では最終章を放映するみたいな噂もあるしな。
 さて、何を書いてもネタバレになってしまう・・・どうしよう。まず『北の王』が復活しました。デナーリスは次章から西の向かって船出しました。そしてラニスターは・・・もう何をどう足掻いても滅亡の坂を真っ逆さまに転げ落ちるようにしか見えない。サーセイは本当に敵をつくる事が得意で、そしてドラえもんの『独裁スイッチ』という道具みたいな状況をつくるよなぁ。そして誰もいなくなった状態になっています。
 『北の王』は壁の向こうから迫る『夜の王』に対処しなければならないなら、北からの侵攻はないでしょうが、サーセイ対デナーリス?またデナーリス陣営で裏切りとか起こらない限りデナーリス勝利だよなぁ。どうやって物語を盛り上げるのでしょうか?そこが一番気になりますね。
日本帝国と大韓民国に仕えた官僚の回想

日本帝国と大韓民国に仕えた官僚の回想

 前にも、ちょろっと書いた日韓合併直前に生まれ、日本で苦学して東大を卒業し、日本の官僚になって祖国独立の礎になろうとして、まぁ戦後の整理だけはできたけど、韓国政界の相剋から離れたので一市井の、小市民という割には企業家として最後を終えた人の自伝なんですが、なるほどと思ったのは、日本政府は朝鮮を搾取する対象としてしか見ていないこと、現地に流れてきた日本人はあぶれもので、なんか人格が低俗って感じであり、朝鮮では差別が酷いのですが、当時の日本国内になると、これがほとんどない。むしろ苦学生という事で助けてくれる日本人が大半であり、この方も日本に対する愛情の大部分は十年間の学生時代に、苦楽を共にした日韓の同世代人との記憶があればこそでした。
 現在の台湾と韓国の、日本に対する親近感の違いというのは、こんなところからあるのかもしれません。つまり、未開発の台湾へ日本はインフラを教育を含めて結構投資しています。そして国民党支配の過酷さが植民地時代への郷愁になっているともいいます。
 翻って韓国の場合、教育も義務ではなくお金を払わなければ受けられませんでした。経済政策は全て冨の収奪でしかなく、歴史的な感情も手伝って、朝鮮戦争前後の建国の苦労は皆日本が種をまいていったものだ、と思われているところです。事実もありますが、そうではないところもあります。
 植民地=搾取の対象ではなく、本気で日本帝国の一部に取り込む気で義務教育を国内並みに取り組み、産業を育成して、そこから税をとる方向でインフラを整備していたら、また見る目も変わったかも知れません。著者本人も含めて日本で教育を受けた元官僚は、職務熱心で金銭的にも淡白な人が多かったといいます。日本的価値観がいつの間にか身についてしまったのでしょう。しかし独立後の韓国はそういう人たちを排除し、海外に逃れていた前近代的な考え方の人々が主導する事になり、贈収賄にまみれたり、情状政治になったりしていきます。
 最近の大統領の弾劾をみても、そんな慣習の尾っぽを未だに引きずっているところがあるように見えます。まぁ自国の近代化を他国にゆだねるとはどういう事やねん。というか、既に朝鮮戦争からも六十年以上が経過しているのに、未だにそれか、と思う事もありますがね。
 もちろん著者は韓国人であり、日本人の嫌なところも冷静に描いています。その冷静さが清々しいくらい。かつての日本はこういう人をもっと育成するべきだったんだろうなぁ、と思いましたね。
 あ、長くなった。もう一つは、また明日に。