シャルル・ドゴール

 フランスは第二次大戦を『戦勝国』として扱われています。ん?確か初戦でドイツの電撃戦に数か月で敗れ去ったよね?という国なのですが、その謎トリックを行ったのが、この人です。まぁ本人はしてやったりなんて思っていないようですけれど。

シャルル・ドゴール:民主主義の中のリーダーシップへの苦闘

シャルル・ドゴール:民主主義の中のリーダーシップへの苦闘

 第一次大戦は歩兵の士官として参戦し、前半戦で捕虜になり勇敢に戦ったけれども戦功は目立つことはなかったようです。度々脱走を試みますが成功しなかったようで。
 第二次大戦前夜に戦車と航空機、砲兵による電撃戦の有効性を論文で主張しますが、防御戦花盛りのフランスでは顧みられず、却ってドイツで評価され、開戦直後に自らの理論の正しさを敵に証明されるという皮肉、屈辱を味わいます。
 どうもその頃は戦車部隊の大佐で、戦時叙任で少将に任じられた事から『将軍』と呼ばれるようになったとか。機動戦戦車理論の先駆者としてドイツ軍の進撃を戦車部隊で一時は食い止めますが、多勢に無勢。ご本人は抵抗を続けるべく渡英しますが、政府は降伏。ドイツに協力する事になります。
 ドゴール本人はチャーチルの英国の支援の下『自由フランス』を組織して抵抗を訴えますが、まぁ軍でのマイノリティが声を涸らして劣勢の母国を救おうとしても難しいですよね。ご本人は右寄りですが応ずるのは共産党系のパルチザン・・・一応亡命フランス人や植民地軍の希望者で部隊を編成しますがね。
 しかし米英もドゴール支援で結束していた訳ではなく、ドゴールが扱いにくいので他のフランス人要人を支援したり、となかなか上手くいかない。それでも最終的には内外の抵抗運動を主導してフランスを『解放』し、その実績を持って『戦勝国』になったという。
 ところがドゴールはその後、十数年は政治的に恵まれませんでした。議会万能の第三、第四共和政は独裁的な権限を嫌い、拙速を要求される事柄を決定する事ができず、ドゴールの主張とは相いれませんでした。結局アルジェリア独立運動への対応を第四共和政が誤り、ドゴールが台頭。現在も続く大統領権限の強い第五共和制が誕生します。
 このフランス、実はアメリカからすると面倒な存在で、それほどの軍事力も経済力もないけれども、常に独自路線を行きたがる。過去の栄光からの矜持から、とも言えますが、ドゴールからすると違う。他国に防衛や経済を握られると痛い目に合う。米英の支援なくして『戦勝国』になりえなかった第二次大戦の苦い思い出が、建前でも自国の自由裁量を確保したい、という考えがあったようです。だから貧弱だけど核兵器も持っている。まぁその後、色んな国が核兵器を持つことになったのも、フランス的に考えかあっての事ですね。
 今の日本も、アメリカ軍の支援が減ればアメリカとの共同防衛前提ではない自衛隊を持つことになるでしょう。その時、フランスなどの国が歩んできた『歴史』が参考になるかも知れませんね。