人間・始皇帝

 金曜日、土曜日は飲んだくれ。日曜日は名古屋コミティアでした。名古屋コミティア、参加人数が増えたような??久しぶりの晴れ日開催ですからかね?すごかったですね。自分は寝ていた・・・いや、いやいやいや・・・
 さて、先週までに読んだもので一番興味深かったものです。

人間・始皇帝 (岩波新書)

人間・始皇帝 (岩波新書)

 最近の古代中国史研究は、文献資料を考古学実績で裏付ける事が進んで、興味深いですね。発掘された司馬遷の『史記』成立以前の文字資料が。やはりというかなんというか、司馬遷、物語を面白くする為に資料の改竄をしていましたわー。ただ文学作品としての出来を向上させているので読み物としては面白いんですよね。
 さて、始皇帝の事ですけど、大筋では変更はないようですが、しかし出来事を矮小化させている傾向があるかな、と思いました。まず逐客令は土木工事をやっていた鄭国という男が秦国の国力を弱める為に運河工事をしていたー、というのがきっかけだったと史記はいうのですが、この運河、驚くべきことに、ちゃんと手入れをされて現代でも使用されているのですよねー。国力費消させるなら、てけとー工事でいいのにね。
 本当はイチモツで車輪を回せるくらいの絶倫で始皇帝の母親のハートを射止めたというロウアイ(たぶん漢字が出てこない)という男が王に匹敵する勢力を張り始めたので、これを排除した時に出されたらしいです。ロウアイは相邦(漢代には相国、つまり筆頭宰相の呂不イ(イの字が出てこない)の与党として宮廷内を掌握していらしく、呂不イは始皇帝の親父を支援して王位につけた衛国出身の商人でした。まぁ始皇帝の実の親父とも言われていますが、これは始皇帝を王位につけたくなかった勢力が流した噂だったようです。
 それから焚書坑儒ですが、天下統一を成し遂げた後、その後の対外戦争を批判し、郡県制を否定する学者たちを処罰し、技術書以外の書物を焼かせた事が、儒学者ピンポイント狙い撃ち、と漢武帝以降、儒学国学の地位を占め始めると、そういわれ始めたと、そういう事のようです。
 そして北の匈奴、南の南越に対する戦争(南は開拓民を送り込む植民政策だったらしい)はそれまでの王たちと同列ではない皇帝という概念を諸国民に印象付け、更には北と南からの攻撃に対する先制攻撃の意味を持っていました。ちなみに、秦では大規模土木建築の労働者は服役者と決まっていたので、万里の長城建築はそれほど庶民に迷惑だった訳ではないようです。
 天下を統一した新しい概念、『偉大な』皇帝という自らが作り出した称号を名実ともに輝けるものにする為、始皇帝は働きましたが、志半ばで没します。どうも秦帝国を滅ぼしたともいえる趙高という男、宦官ではなく(宦者と表記される者は側近という意味で、宦官と同列に見られたのは宦官の弊害が激しかった唐代以降らしい)、趙高は法律に明るい男でした。法律家に政治家分野を任せてしまったという・・・始皇帝への忠誠から自らが皇帝になる事を夢見て殺される。しかしもう秦帝国は、始皇帝の死を契機に各地で起こった反乱によって死に体でした。やはり国を亡ぼすという行為は恨まれてしまうのですねー。
 そんな感じでした。これからも発掘が進んで色々な事が明らかにされるといいですねー。