ボトルは一本と決めてなかったか?

 はい、飲み過ぎです。日曜日の東京で、行った店が予想以上に美味しかったので、ちょっとやりすぎました。うーむ・・・お会計も予想以上だった。一緒に飲んだ人、すまない。やっぱ赤葡萄酒一本半はやりすぎでした。危うく新幹線乗り過ごすとこだったもんなー。
 はい。金曜日の晩は地元祭りの設営の手伝いをして、休憩時間に飲み、土曜日はPFキャンペーンを早めに帰らせてもらって急いで帰ったからか、結構暑かったので麦酒を一缶飲み、んで日曜日にやらかした・・・と。
 また週末に美味しい酒を飲むために、平日は我慢しようと思います。一度減った腹回りの肉も戻ってしまったようですしな。
 さて今回の東京コミティアの最大の狙いはコレでした。

この世界の片隅に 上 (アクションコミックス)

この世界の片隅に 上 (アクションコミックス)

 いや会場でアニメ監督と原作者さんのトークショーとかセッティングされていたのですが、そっちはまぁ・・・自分のスペースをそんなにあけっばにはできませんからね。
 金曜日に名古屋のジュンク堂で探してみたのですが、見当たらなかったのですよ。仕事の途中でよったので、そんなに時間をかけられなかったというのもあったのですが。
 んぢゃあ、このタイミングでコミティアが何もしない筈がない。そしてジュンク堂さんの出張販売もある。東京で買えるわ。と踏んだわけですよ。
 上中下巻三冊一気に会場で読んだわけですが、当たり前の人たちにとっての戦争、日常生活の中で戦争というものが当たり前のようにあって、出征していく幼馴染、戦死したという兄・・・しかし遺骨ナシなのでどこかで『鬼いちゃん』は生きているのではないかという期待。空襲が激しくなって、色んなものを失って、でも隣近所が協力し合って生きていて、そして終戦の日玉音放送を聞いて、主人公が駆け出して泣く。自分の国が『すごくいい国』と信じていたけれども、暴力によって支配し、そしてまた暴力によって敗北した『当たり前の国』と知った失望、虚しさ、そんな事を感じました。これが当たり前の人の反応だったのかもしれません。
 そういえばうちの祖父母も戦争中の事はあんまり語らず、どんなことも『戦争だったから』で片づけていました。もしかしたら極限状態を普通のことと受け入れていた事実を、忘れたかったのかもしれません。
 なるほど・・・こういう話なのね。名古屋大空襲の事を描いた知人の方の漫画は人の醜さが随所に出ていましたが、こちらは何とか助け合って生きていく姿が描かれていて、少し安心しました。