ねじ巻いて読んだ

 はい、これです。長かった・・・

クリミア戦争(下)

クリミア戦争(下)

 プレ世界大戦的な様相を見せた戦争でしたが、各国における歴史上の位置づけは様々で、参戦国は、イギリス、フランス、トルコ、ピエモンテサルディニア(のちのイタリア王家)、そしてロシアなのですけれども、このうちフランスはその後のイタリア統一戦争だの、メキシコでの戦争だの、普仏戦争での屈辱的な敗戦だのと、まぁクリミア戦争の戦勝など吹っ飛んでしまう出来事の連続で、とりあえずパリやそのほかの都市に戦争を記念する道路名や地名が残っている程度です(アルマとか、マラコフとか戦場名がとられている)、イタリアにとってはサルディニアが統一戦争の主導権を握る為、フランスに恩を売る為の参戦なので、歴史からは無視状態。トルコも同じく、お互い様だとは思うけれども、自分たちの利権と名誉を西欧諸国に傷つけられた戦争として、つまり『汚点』として考えているところがあるようです。
 では残りのイギリス、ロシアについてですが、両国とも戦前の自信とは裏腹に、軍隊の脆弱性、特に貴族司令部の無能さが露呈した戦争でした。装備、工業力、産業すべてが戦争に関わる事を実証した戦争であり、イギリスは中流階級が主導権を握り、より合理的な組織へ変貌するきっかけになった戦争となりました。それまで『英雄』は馬上の指揮官のみであったのが一般兵士こそが『英雄』であるという考え方に変わった戦争でもあります。
 ロシアについては軽蔑対象であった農奴出身の兵士たちの勇気が称えられ、つまり人間としての再評価、そして皇帝の寵臣でしかない高級軍人の無能さが露呈した戦争になりました。そして自国の産業構造が列強に遅れていること、イギリスに「騙された」という怨念。それが次の半世紀を彩るユーラシア大陸を南北にとりあう「グレートゲーム」のきっかけにもなったのでした。
 クリミア半島では戦争後、先住タタール人たちが民族浄化にあい、ロシア人をはじめとする東欧諸国の民族が移住、現在に至ります。戦争でのもっとも激しい争奪戦かおこったセヴァストポリは、ロシア人にとって祖国防衛のシンボル、愛国的な聖地となりました。
 だからクリミア半島ウクライナからロシアに帰属しようとしたのかぁ。セヴァストポリはロシアでなければならないのね。なるほどねー。