間に合うかなぁ

 今日『Polmeria祈り』を入稿してきます。夏コミ入稿ラッシュの地獄であろう印刷所へ行くのは・・・初めてかも知れぬ・・・うちのは8/21のコミティア合わせな訳ですが、だいたい二週間あれば・・・と思っていたのですが、営業日という項目を見逃していました。ん?という事はお盆休みとか考慮したら足らなくね?OH・・・
 まぁ午後から配達ついでに持ち込んで、詳しい話をうかがいに行きます。もしも間に合わないとなると・・・あ、名古屋コミティアの申し込みをしなくてはいけないぢゃないですかー(棒読み
 帰宅したら確認しなければ。確か事は九月ではなくて十月の筈・・・
 それはさておき、今、毛利輝元の評伝を読んでいます。これによると、毛利氏は国人領主連合体のまま急激に勢力を拡大し、しかもそれを成し遂げた『カリスマ』元就が高齢であったため、毛利氏を頂点とする中央政権をつくりあげる前に亡くなってしまったこと。
 同じく急成長を遂げた織田氏は、『カリスマ』信長が壮年であり、そして繰り返し戦争を勝ち抜いたおかげで、結果として優秀な戦争機関に成長したこと(これは運の部分があり、現代人が信長の真似をすると『高転びに転げ落ちる』ことになりかねない。いや信長も慎重であり、世論を気遣っているけれども、織田家という戦争機関の成立は信長の才能という個性と、それに乗って実力以上の力を死にもの狂いで発揮した家臣団の『狂気』のようなものを感じます)で、ある意味常識的な毛利氏を圧倒します。
 これを輝元個人の才能に帰するのは無理かも知れないし、無理を押し通す事ができなかった事が『非凡』ではないという事かも知れません。
 豊臣政権に加わった事でようやく毛利氏は主導的な立場を徐々に確立していき、面白い事に五大老になった頃には側近に中国からの帰化人が加わっています。武士階級以外で当主側近になる例は、他にも見た事がありますが、父親が中国人で輝元側近となり、息子の秀就側近にも取り立てられた張元至という人物の存在は全国的に見ても珍しいです。
 まぁこの事項をついさっき読んだから日記に思わず書いてしまったのですがね。まだ半分ぐらいですから、楽しみですよ。