麦酒は危険な罠

 蒸し暑いと晩酌に麦酒を飲みたくなります。そして麦酒を飲み干すと腰回りが増える〜。夏痩せという言葉はあんまり意味がないような気がします。暑さで食欲がなく痩せてしまう状態の事ですが、最近は食欲を保つ方法が幾らでもあるので夏痩せしにくい・・・というか、自分は夏痩せした事はないです。麦酒があれば食欲は衰えぬ〜。
 それはさておき読み終えたもの。

下野宇都宮氏 (シリーズ・中世関東武士の研究)

下野宇都宮氏 (シリーズ・中世関東武士の研究)

 中世関東の雄族ですね。改めて調べてみると家系としてはそんなに古くない。確実なところは八田宗綱という人物で、八田という地名は常陸国にあり小田という一族が直系だそうです。表舞台に躍り出たのは平安末期の寿永・治承の乱で源頼朝に引き立てられたのが最初っぽいです。同じ下野の雄族小山氏も実はそうらしい。
 鎌倉時代は北条家に接近しそれなりの地位を保ちましたが、室町期になる前、南北朝の戦乱は当主戦死、幼主擁立で本家の権力が弱体化。その後、京の幕府と鎌倉府の綱引きの、つまり代理戦争を引き受けたような形で合戦、敗北、当主死亡、養子縁組、弱体化・・・とまぁ戦国期を通じて権力強化を試みつつも、一族、家臣団の権力争いで弱体化が進んだようです。
 こうやってみると鎌倉以来の関東の大名で、戦国大名としての権力を確立し、近世まで存続できたのは常陸佐竹氏ぐらいで、そしてその佐竹氏の最近の研究を読んでいないなぁ、という感想を持ちました。あんまり軍記物以外の資料が残っていないのですかね?
 宇都宮氏は北条氏の攻撃に、前述の佐竹氏、下総の結城氏と同盟を組み、何とかしのぎ切り豊臣大名になりますが、石田派と浅野派、つまり吏僚の派閥争いのとばっちりで改易されてしまい、石田派とみなされていたので徳川家に対抗し、最終的に断絶してしまいます。
 栄枯盛衰って奴ですかねぇ。