何とか一冊読み終えた

 読み終えたのはこれです。

継体天皇 (人物叢書)

継体天皇 (人物叢書)

 たぶん『継体天皇』研究の最先端だと思うので読んでみました。一応現在の皇室で歴史的に確認できる最古のご先祖、という事になります。それ以前の天皇家・・・大王家については伝説の域から出ていません。古墳の発掘調査が進めば、もうちょっと判明する事が増えるかもしれませんが、まだ一世代ほど先でしょう。皇室を『文化』とするのは構わないけど、学術的なメスを入れる事を拒否する世代がいるのは、良くないです。
 さて、解ったこと。どうやら継体天皇は近江から淀川水系に勢力を持つ存在で、姻戚関係から尾張や河内とも同盟関係を持つらしい。
 前王家との血縁関係は恐らくなく、その為に自身や年長の息子たちに前王家の王女を正妻として娶り、大王継承の正統性を担保しているようだということ。
 この時、即位を支持した豪族たちに『連』の姓を授け、それまでの『臣』の姓と区別しているらしいこと。つまり飛鳥時代の倭政権の原型が生まれ始めたらしいこと。
 おそらくケースバイケースで地方の造制とか整備されていったらしいこと。豪族連合段階の政権でも徐々に徐々に中央集権が進んでいったらしい。
 筑後を本拠とする磐井の乱を鎮圧し、朝鮮半島への外交窓口を一本化するもの、結局思い通りの成果を得ていないこと。
 皇族の女性を妻にして政治補佐をさせる一方、年長の、そしてのちには皇族を母とする皇子を皇太子に擬制される地位につけ始めたのも継体天皇の時代でした。こののち天皇家となる特殊な血筋を形成する為に、異母兄妹や伯父姪間での近親婚を始めたのは、彼の、皇族を母に持つ息子、欽明天皇の時代からです。
 彼以前の大王については血統的にも存在でも確定できず、単一の王家を形成していたのか、複数だったのかも解りません。たぶん王位に就くべき複数の血統があったのではないかと思います。でないと突然近江から継体を呼び寄せるという事が解らない。反対の豪族はいたようですが、記録に残る戦乱はなかったので、世論的に納得できる血統であった筈です。
 まぁそれ以上の事はなかなか解らないのですがネ。