快晴ですね

 梅雨入りしているようですが、どこからどこまでが梅雨だなんて、その年の記録を読んでから読み取らないと解らんですからね。ひょっとしたらまだ梅雨入りしていないかも・・・それはないか。
 まぁそれはそうとして読んだもの、見たもの。

慶滋保胤 (人物叢書)

慶滋保胤 (人物叢書)

 マイナーな歴史上の人物です。どれぐらいマイナーかというと、この人の活躍した年代を、二十年ぐらいずれて覚えていました。知ったのはマンガ『陰陽師』で、ただし彼自身はモノローグセリフ一つの登場です。あとは名前が出てくるぐらい。
 安倍晴明の師匠、賀茂忠行の次男でして、マンガでは陰陽道に卓越した晴明の存在で、家業である陰陽道を諦めた・・・みたいな描写でしたが、実は元々賀茂家は陰陽道の家系ではなかったそうです。そして忠行よりも長男保憲の方が陰陽道の学識、政治力に優れていて、官位も父親を超越してしまって、父親に位を譲るなんて珍しい事を申請しているぐらいな男です。その保憲の嫡男光栄もぶっちぎりの能力を持っており、この父子で陰陽道賀茂家が確立したようです。
 ちなみに、保胤はその甥の光栄よりも年下で、次男とは言っても、もう陰陽道の賀茂家での立場はないも同然。なので学問の世界で立身を図ったようです。
 ただ政治の世界での出世はできなかったようで、花山天皇在位の時に内記になり詔の草案をこさえたりしていたみたいですが、有力な外戚を持たない花山天皇の治世は不安定で、在位二年余りで出家して退位。それと同時に保胤も出家リタイアしてしまいます。別に花山天皇には思い入れはなかったようですが、その花山天皇に近しい貴族が友人だったようで、まぁ五十になるし引退するか、みたいな。んで興味のあった浄土信仰に浸ったという・・・
 有名なのは四十代に手に入れた屋敷で書いた随筆『池亭記』や『日本往生極楽記』で、後世の隠棲文学に影響を与えた浄土信仰の先駆者、らしいです。
 『方丈記』とか『徒然草』に影響を与えたということらしいです。
 他にも意外に藤原道長と晩年知り合いになっていたり、学業、信仰の世界ではその当時の有名人のようです。
 まぁ・・・そんなとこ、かな?
 んで見たもの。 ハリウッド映画『ドラゴン・タトゥーの女』の元ネタ。原作はスウェーデンの小説です。原作も全部読んだので単純に演出を楽しみましたが・・・やっぱり演出はハリウッドの方が洗練されていると思います。ちょっと解りにくい。
 しかしハリウッドでは映画化されていない第二部、第三部も映画化済ですので、今夜第二部みたいですね。だって三時間近い作品ですよ?気合い入れないと見れませんよねー・・・楽しみです。