早寝を心がけた筈なのに

 だいたい就寝は十二時前後になります。おかしいですね。その一時間前には眠れるつもりだったのに、なんやかんややっていたら、そんな時間になってしまうという・・・今朝も眠いです。つまり平常運転(あ
 昨日、結構本を買いましたが、なんか肩透かしだったので、まぁいいか、と。映画も見るか・・・やめておくか、ってな感じだったので録り貯めているのも見ていません。
 読んでいる本もまだ中途半端なんですよねー。興味深いのは『足利義昭』の論文集で、まぁ彼の父親の代から遡って京都周辺の政治勢力が、当時の将軍家の争いにどのようにかかわっていたのか、という箇所かな。
 応仁の乱で争った東軍系の将軍家に近衛家系の摂関家がつき、西軍系の将軍家には九条家系の摂関家がついていたみたいな。そしてその九条家を接点として大内氏と三好氏がつながっており、三好長慶が五年間京都を制圧した背景には、そんなものもあったのだなぁ、と。
 他にも足利義昭自身の上洛についても、その三好氏を中心とした旧西軍系将軍勢力の調略工作があり、一度彼を迎え入れた六角氏が彼を放逐し、尾張織田氏、美濃斎藤氏との間の抗争を調停して織田信長を主力して上洛を果たそうとした際にも、結局斎藤氏が三好=六角路線との同盟を選択した為、水泡に帰しています。もともと斎藤義龍の代から、その路線であり、その為に義龍は父道三を殺していますからナ、無理筋といえば無理筋なのでしょう。
 どうも信長の上洛戦で簡単に畿内を明け渡しているので、長慶死後の三好氏は軽く見られている節があります。記録も少ないし。しかしこの三好氏=本願寺を中心とした政治勢力、つまり西軍系将軍家を奉戴する勢力の動きが見えてこないと、感情論とか小説的な話ばかりになって、合理的な説明ができないように思えます。足利義昭織田信長の提携は三好氏=本願寺勢力の力が強力であったが為になされ、そして破綻したのではないかと思うので。
 このあたりの研究が進むといいなぁ。