麻薬問題

 といっても現代の覚醒剤とか、その手の事ではなく歴史的なもの、アヘンなんですけど。

アヘンと香港 1845-1943

アヘンと香港 1845-1943

 イギリスが香港を獲得し、当時イキリスが推進していた自由貿易の東アジアにおける拠点、つまり西、南アジアと東、東南アジア、更に北米西海岸と豪州を結ぶ結節点の自由貿易港、香港が誕生しました。自由貿易都市といえば聞こえがいいですけど関税をかけられない、つまり入ってくる船舶に税金をかけられない都市なので、その財源を確保するのが大きな課題です。もともと香港は寒村だったので人が少なかったですし。
 そこでインド産の生アヘンを入札で販売させる事を思いつきました。当時のアヘンは麻酔薬の原料であり、また嗜好品でもありました。高級サロンで現代の葉巻とかブランデーみたいな位置づけだったみたいです。おされな人が嗜むもの、みたいな。
 しかし安価な商品もある訳で、そういったものが半ば奴隷のような状態でアメリカ西海岸で働いていた中国人労働者が嗜んでいた訳ですよ。日々のつらい労働、空腹を紛らわせる為にアヘンに溺れる。中毒性があり、食欲がなくなるので(食べなくてもOK、とか思っちゃうので食費がなくてもいい)どんどん体を害し、悲惨な状態で死んでいく、という状況になります。
 それがね、それまで『エキゾチックな文明大国』という中国のイメージを『貧乏で悲惨で怠惰な国』に変えてしまったと。他にも様々な要因がありましたが、自分たちのやっていることは棚に上げて(誰でもやるが)アメリカ人が倫理的な問題としてアヘンの取引禁止を呼びかける事になります。
 しかし香港やシンガポール澳門などは財政構造的にアヘン交易が重要な収入の柱になっています。どころか、第二次大戦以前の東、東南アジアの各勢力にとってアヘンを扱う事は重要な収入源を意味したのでした。日本も属国化した内蒙古満州でアヘンを生産し売却益を得ていたようです。資料が残されていないので具体的にどの程度なのかは解りませんが、東条英機岸信介の資金源とささやかれる程度の金額は稼いでいたようです。
 結局イギリスが主導権を握っていた頃は、不十分でしたが、アメリカがこの地域の覇権を握った事により、非医学的、科学的商品としてのアヘン取引は終焉を迎えました。
 でも現在、そのアメリカで大麻が合法化されてもいます。二十年以上前オランダに行った時も、そこでは大麻は合法でした。日本では大麻を製造したり喫煙したりしたら刑法で罰せられます。
 この辺の線引きってどうなっているんでしょうね?大麻の害毒性や中毒とかよく知らないのですが、酒、煙草クラスなのか、アヘンや覚醒剤の麻薬レベルなのか、どうなんでしょう?
 時代の移り変わり、人の認識によって薬と麻薬、嗜好品の線引きが変わっていくのかな、と思いました。