もう一冊の方

 昨日書けなかったのは、こちら。

 ニッチですね。義仲はともかく頼政は詳しい人でないと知りませんね。
 実は『源平合戦』の時代、覇権を争った勢力は三つありまして、一つは安徳天皇を奉じる平氏。一つは源頼朝を武力と頼み安徳天皇後を睨む後白河法皇。もう一つが結果的に第三勢力になってしまった木曽義仲ですかね。
 実は源頼政木曽義仲、血縁関係にはないのですが関係が深く、義仲の兄貴とかは頼政の養子になっていたりします。そして頼政は当時の王家で最大の金持ち、八条院という女院に属する武士でして、その上、平清盛にも武力を平氏独占にしない為の勢力として引き立てられていました。武力独占なら怖いものなしぢゃない、と思われますが責任回避ができません。まだまだ武士の力がそこまで強くなく、命じられる道具に徹した方が有利な場合がある。その時、平氏だけに責任を押し付けられるのはかなわない。主力が平氏でも『多国籍軍』の様式を得る為に政治的野心の少ない、そして歌人として宮廷人脈の広い源頼政がパートナーに選ばれたと。
 ところがこの八条院に仕える女房に後白河法皇の皇子、以仁王が婿入りしたところから様子が変わってきます。当時、皇位継承は幼少の者が続き、いまいち安定感がありません。親王に補任されていなくても天皇の皇子であり、莫大な財産持ちの八条院がその娘を遺産継承者に指定したのが以仁王で、これは政治的に無力化しておかないと安徳天皇の皇統継承の邪魔になる・・・と平氏がちょっかいかけたところ、源頼政が内情を知らせた密書を追ったら大人しく拘束されず以仁王が出奔。逃げ込んだ先が延暦寺と対立する園城寺だったので以仁王捕縛協力を求められた延暦寺が攻撃の口実だ、ひゃっはー!!と仕掛けたのが発端。
 この後、泥縄式に反乱になり、あっちゅう間に平定されてしまいます。機密漏洩を問われかねない頼政以仁王に加担し一族滅亡。ところが以仁王の遺児の幼児『北陸宮』が逃亡し、敵と戦い北陸道を進んできた義仲と合流したところで話がややこしくなるという・・・政治センスのない人が政治にかかわると不幸になるという奴です。
 『源平合戦』は必然ではなく偶然のたまものってのが解って面白かったですよ。