ようやく読み終えた

 他にも色々実はマンガを読み終えていたのですが・・・あえてとりあげるという発想が湧かなかったにゃー・・・さらっと読めてしまっていたからかな。
 これはそうでもなかったです。

 いつもですねぇ、戦前の家庭とか道徳秩序を懐古し敬う論調に接すると虫唾が走っていたのですが、その理由が、自分が父方、母方問わず祖父に対してあんまりいい感情を持っていない、直接的な感情論だと思っていたのですが、この本で、高度経済成長期になりようやく過半数が貧困から脱したここ数十年でようやく崩れた『家父長制を支える弱者を犠牲にして維持されていた身分、経済秩序、それを糊塗していた偽善によるものだとようやく思い当りました。
 戦前懐古の偽善臭が嫌いだったんですな。
 身売り、つまり奴隷として売られるのは経済的な貧窮が第一です。戦乱期には戦利品として略奪され、二束三文で売買されていましたが平和時には違法とされました。しかし誘拐や騙しての連れ去り、そして転売を禁じながらも財産としての奴隷を売買する事は、実は江戸時代まで違法ではなく、むしろスムーズな年貢徴収の為、『家』を維持する為に妻や娘、姉妹を売って年貢を納めるという事が道徳の面からも(家を維持する孝行という奴)肯定されていました。
 そしてその事について二千年代にいたるまで日本人はあんまり違法だと思っていなかった節があるようです。戦後、日本人自身が売買されたり、また売春行為を行う事は法令で禁止されたのですが、外国人に対しては法整備されておらず、二千年代になりアメリカから指摘されて大慌てで整備したという経緯があるそうです。
 だからかね、児童ポルノに関してなんか的違いな指摘をして名を売ろうとする人が増えたのは。新しい法律だからかね?
 家を維持するという事は幕藩体制にとって課税対象を保護する事であり、その為の犠牲は必要と考えられたのでしょう。戦前、そしてつい最近まで親が無条件で子を従えるというのも家長を中心とする『家』が基本課税単位だったからでしょう。今は、個人であったり行為に課税されており、つまり個人の権利を認めない事には徴税がスムーズにできないという認識なのでしょう。
 権利を認めてもらう為には対価が必要だという事なのでしょうね。
 なんにせよ、これでアタクシは戦前の倫理秩序に対して理論的な批判ができるようになった訳で・・・だからといってこういうものは感情論になる問題ですから、解決とかそんな事は絶対ないと思いますけどね。