再読です
二月に町内の人相手に、『織田家は他の戦国大名となんら変わらない存在だったんだよー』みたいな与太話をするかも知れないので(決定ではない)、この本を再読しました。
- 作者: 戦国史研究会
- 出版社/メーカー: 岩田書院
- 発売日: 2011/05
- メディア: 単行本
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これはつまり彼らが織田家をいただく戦国大名であり、その領域支配は彼らが自主的に、何の影響も受けずに行えたということ。
同じような事は他の戦国大名でもありまして、直轄地に関しては知行を分割、分散して一円支配を行わせないようにしていますが、周辺の国人領主(戦国領主ともいう)にはそんな事はできません。あたかも一個の戦国大名というのは強力な国家とその同盟国みたいな感じで形成されているのですね。
織田家も実態としては変わらないと。
戦国大名という存在は軍事政権であり、その利益拡大は領域の拡大と直結しています。つまり優秀な戦国大名は、どんな手段を取ろうと侵略的だということ。
ここで本能寺の変前の明智光秀領域を考えると、周辺国境を全て織田家領国が取り囲んでいる状況であり、その権益拡大をする為には織田家と敵対関係にならなければならないという事。客観的に明智家という戦国大名が生き残る(発展する)為には、織田家、羽柴家の領域を奪い取らなければならないのです。
江戸時代の儒教的観念を取っ払えば、自家家中の存続発展こそが武士、戦国大名としての成功なのですから、羽柴家は織田家の従属大名ですので、織田家そのものに有効な打撃を与えて戦果を拡大しなければならない。無防備に本能寺に滞在する信長を見て、自家発展の機会は今だと明智光秀は思ったのではないか、そんな事を素人目線で考えました。
いや、だって、感情論は記録に残っていないし、他の理由もなんだかアレでして、軍事的に最も有利な瞬間だからやった、という方が説得力があるなぁ、と思いましてね。
そんな明智家中をコントロールする手段が織田家中枢にはないのですもの。一旦利益になると考えたら食らいつく、それが戦国大名のアイデンティティとしたら、そう考えるのが妥当かなぁ、と思いました。