官吏と政治家は違う

 評伝を読んだことなかった人なので、読んでみました。

愚直な権力者の生涯 山県有朋 (文春新書)

愚直な権力者の生涯 山県有朋 (文春新書)

 イメージとしては戦前の傲慢な陸軍をつくっちまった人、という感じなんですが、本人は生真面目で、愚直で、冒頭に書いた通り能吏タイプの人間です。徴兵制を確立しつつも、政党政治の有効性を疑い、そこからの陸軍独立を画策していたら『統帥権の独立』なんてものに拡大解釈されてしまったという・・・
 前線指揮官よりも軍政家の能力の方が高い人ですが、どうしても後継者を役人タイプに育成してしまって、政治家タイプにならず政界に官僚閥を形成しても政界をしょって立つような人物を育てきれなかったようです。
 やはり維新を共に戦った『同志』連中だけが維新後の政権で信じられる、みたいなところがあり、陸軍と政府が対立しても陸軍の自分と、政府の伊藤博文井上馨らで話し合い、妥協が成立する事が念頭にあっての、陸軍の独立みたいだったようです。日清戦争日露戦争までは限定的にしてもシビリアンコントロールができていたようですし。
 軍拡を推進した人ですが、大陸政策は不拡大で、中国との協調を志向したと言いますが、あんまり影響力を行使していない、あるいはできていないようです。時代は帝国主義花盛りですからナ。
 結局八十過ぎで亡くなりますが、『老害』のイメージが残ります。責任感から政治に関わりますが時勢に敏感な訳ではない。議会政治も晩年になって認められる政治家(原敬)の出現によって許容するようになりますが、そういう局面か?
 象徴的なのが葬儀で、国葬となったのに一万人収容の幔幕には千人ぐらいしか参列者がいなかったとか。性格的にも優しいけれどもなかなか人と打ち解けないところがあるので、国民的人気にはほど遠く、要人の出席者も少なかったようです。
 本の著者は『愚直な権力者』と称し、その不器用さを愛するようですが、不器用な人間が政治にかかわるのはお勧めできないし、もしかしたら彼のような人間でも政治ができると誤解して、昭和の軍人たちの暴走があったのかも知れません。東条英機なんて、思想とかはともかく、ものの考え方の基本は山県有朋と同じものを感じるのです。
 政治家、政治的、戦略的物の見方を持つ人の絶対的不足。それが過去から現代までの近代日本の宿業なのかなぁ、と思ったりします。