期待外れ

 いや、初期徳川氏の農村支配に関する論集を借りたのですが、前にも読んだ事があるのですけど、三河一向一揆の事について読みたかったんですよねー。んで、目次に書いてあったものだから、期待して借りてみたら、がっくり。
 三河一向一揆については、この論文に詳述してあるから書かないって、おーい!!まぁそれに対応する徳川氏家臣の書状とかの検討が本論なので、そうなのでしょうけど・・・もー・・・本気で論述してあるものを探さないと読めないのかな?
 あ、別に論文を書くとか、小説のネタとか、そんなんぢゃないですから。ただの好奇心ですからね、はい。
 ただ、まぁ、そこに書いてある事と、ウィ〇ペディア先生の、これまた簡単な記述を考えると、きっかけは一向宗寺院の不入権を犯した事なんですが、一揆に参加している武家方の名前を見ると・・・ん?今川氏とつながりが深くないか?と素人考えで連想しました。
 という事は、その頃の家康は三河の旗頭として今川氏からの独立・・・というか三河の覇権を握る為に今川氏と断交し抗争を開始している状況でしたから、政治勢力として本願寺派が今川氏に近しいのならば、その秩序に反抗する徳川氏と敵対してもおかしくないな、と。
 宗門として一向宗に従うか、家康との主従関係を優先するのか、家臣が苦悩したといいますが、今川氏との個別な関係で、家康の独立に賛成するか、反対するか、その温度差は必ずあった筈です。それが噴出したのが、三河一向一揆であったと考える方が、妥当な気がしますがね。だって主従関係なんて、江戸期に比べれば簡単に解消、あるいは不都合な主君の追放なんてできた時代ですから、宗門と忠義で板挟みよりも、利害関係で理解した方が解りやすいです。
 って、研究論文を読んだ訳でもないので、こんなことを書くのは僭越ですがネ。