原稿は・・・ア、ハッイ

 昨日快調と書きながら、昨日はぶっちぎって忘れてました・・・おいおい・・・ちょっと他ごとをしていたので・・・そして今夜も明日も他ごとするです(ドヤァ
 まぁそんなもんすよ(したり顔でゆうな
 それはさておき、去年はパッツンパッツンだった夏ズボンが余裕があるので、体重減らした甲斐がありましたよ。逆に冬ズボンはウエストサイズがほぼあっていたので、ずりおちそうなものが多いのですが。それに調子こいて今夜は親父がおらんので、葡萄酒一本空けます。ひゃっはー!!この為に生きている・・・とかな。
 さて読んだもの。

 相変わらずゲスい軍人、開放軍(解放ぢゃないのねー)の思惑に隻眼未亡人スナイパーたる主人公さんは不満げデス。アタクシも奴らにはギリギリ歯ぎしりです。汚物は消毒したくなりますが、正規軍をどうにかできる状況ではないのでアレです。次巻は十月です。状況が好転・・・するとは思えないので、どうなるのか注目ですよ。
八旗制度の研究 (東洋史研究叢刊)

八旗制度の研究 (東洋史研究叢刊)

 清朝清朝になる前の、女真族の時代の事を論じていますが、通説だと過去に金王朝を築いた末裔として意識していたーみたいな事を聞いてたのですが、そんな事、全然ないっすね。生きる為に大変な状況の女真族、貴重な外貨獲得の機会である人参や鷹の輸入を明が差し止めた事により、武力による財の獲得を目指しますが、いかんせん、女真族自身の人口が少ない。女真を統一した時でも五万人の戦闘員を確保できるかどうかなんですよ。当然少数精鋭で、的確な戦術戦略を取らなくては滅亡の危機に陥ってしまう。その為の共同体意識が徹底していて、封建社会を築く余裕はなく、ハンと諸王の合議で政策を決定すると言ってもハンの判断が尊重される事が多かった、というかほとんどそういう状況だったようです。
 だからこそ効率的な戦闘単位として行動し、清朝前半・・・乾隆帝期まで、比較的効率的な統治が行われたという事なのでしょう。だって褒賞が土地じゃくなて生産力である『人間』そのものだっていうんだもの、どれだけ貧弱な集団なんだ。
 そんな集団が中国全土を制圧したのは、時の勢い、時の運なんでしょうねぇ・・・