艦これのイベントは本気になると負け

 のような気がするので、だららーんとやっています。もちろん情報収集をして最適装備と最適編成を探りながらですが、自分は頭に血が上ると、むきゃー!!と何も考えずにガシガシやってしまいドツボにはまるタイプなので、努めてだらだらするようにしています・・・努めてです!!(重要
 さて、そんなだらだらした日常で読み終えたもの。

 本屋さんで何度も気になっていました。個人的に著者の方の織田信長論評が一番バランス感覚に優れているのではないかと思っているので。しかし信長関係も結構読んだし、新たな資料解釈とかないかぎりお金を出してまで・・・と思ったので、図書館で借りて読んだ次第。
 信長ものですが足利義昭との関係に絞られていますので、信長の義昭の関係というものが、はっきりできると思います。しかし自分が感じたのは、義昭を始めとする歴代の足利将軍の『性格』というものでした。
 初代の尊氏は自力で政権首班になった事もあり、親分的な性格が全面に出ています。二代目義詮は有力な一族守護大名たちの間でバランスをとりつつやっているという感じ。三代目義満はその守護大名の有力者を頭打ちつせる事で権威を確立しますが、四代目義持は守護大名たちの支持で将軍位を確保した経緯があり、義満よりも譲歩し合議制の諮問機関を持ちます。
 問題は早死にした五代目義量を飛び越し、六代目の義教。『万人恐怖』という存在だった彼はエキセントリックな印象と専制を目指す強引な政治手法で有名ですが、彼の血筋がそれ以降継承する足利将軍は、アタクシが知っているだけですが、この義教をプロトタイプにしている人が多いのです。息子の義政、十一代目の義稙、十三代目の義輝、そして十五代目の義昭です。だいたい専制を、それも世間の評判とか無視して行い、挫折し敗北、暗殺、追放の運命をたどっています。ちょっと考えたのは、これは義教という人が神籤で選ばれた事と関係があるのではないかと思うのですよ。
 支配者には権威づけというのが重要です。人が自分のいう事をきいてくれる理由づけという奴ですが、血筋があっても実績がなければ、自分よりも実績のある人間の意見を尊重しなければなりません。それに懲りた義持という男が、出家している弟たちから後継者を選ばなければならなくなった時、神籤による演出を考えたのかも知れません。偶然のなせる技は人間の思惑を超えており、神聖を帯びると考えられていた時代です。当の選ばれた本人もそれを意識し、自分は神に選ばれた将軍であると、過剰な自信を持っても不思議はないし、そう考えると彼の専制的な性格も理解できるような気がします。そして神に選ばれた男の子孫である自分も、神聖であり将軍として武家を支配する存在なのだと過剰な思い込みをしても仕方ありません。
 そして実績どころか実力を伴わない思い込みになってしまった時、破綻します。敗者であるのに信長に強気の交渉を重ねる義昭に対して、実力で伸し上がった秀吉はあまりの交渉の進展のなさに匙を投げてしまいます。
 「どうにでもすればよろしい」
 この瞬間、自らの権威を実力で支えてくれる存在を求めなければならないという真理を知りながら、最強の実力者と妥協できなくなった義昭の政治生命は断たれたも同然でした。その後も反信長同盟の為に書簡を書き散らす彼ですが、ほとんど実効性はなく、お飾りのような存在になってしまいます。だって室町将軍は京都の支配者であり、そこから追放されたという事は京都の財力すら使えない放浪人でしかない訳ですから。
 なーんか、そんな事を考えた一冊でした。