選挙ですってねー(棒読み

 高倉健さん、納谷六郎さんがお亡くなりになったニュースに昨日接しましたが、あ、納谷さんは声優さんです。スカした嫌なキャラを演じさせれば右に出るものはいないとアタクシなんかは思っていました。嫌なキャラが上手かった!!ある意味高倉健さんとは別の役どころを抑える重要な人材って感じ。ご冥福をお祈りします。
 それはさておき、選挙ですか、そうですか。おかげでその投票日となってしまう日に予定していた竜舞亭の第一例会の開催が人数ではなく会場の都合で危ういですよ。まったくもー。そんな事より景気対策考えろよ、とか思うけど政治家の大半はそういう事に関して素人だし、官僚とか経済学者とかブレーンが考えたことを検討して法制化するのは一部の政治家の仕事だし、大方の政治家にとって選挙とは重要な存在理由なのでしょう。ぶっちゃけ選挙の時にしか活動している事を知らないという人が大半ですしナ。
 まぁいいや。たぶん議席の趨勢は変わりませんよ。話題が少ないし、アタクシも投票したい人も党もいないし。
 んで、昔はそんな民主日本のひな形のようにも言われた事の研究書です。

山城国一揆と戦国社会 (歴史文化ライブラリー)

山城国一揆と戦国社会 (歴史文化ライブラリー)

 八年間、守護不在の期間があった南山城の国一揆は、社会主義華やかなりし頃、民主的な支配が行われたと思われていた時がありましたが、中世の状況を近現代になぞらえる事は不可能で、この国一揆も南山城を舞台に応仁の乱では決着がつかなかった畠山氏の相続争いが行われていたからで、こんなん迷惑だ、出てけー!!と国人に両畠山が言われて追い出されたのが発端。その後、国人の会議が守護の役割である許認可や治安維持、年貢徴収権の任命とかを行っていたから、そう思われていたようです。
 歴代の山城守護は侍所所司が兼務したりしていましたが、公家や幕府直轄領が複雑に絡み合い、守護権力が浸透しにくいところでした。それが応仁の乱で守護在京の原則が崩れ、また幕府自体が山城国の領国化を進めようとしたので、一種の権力の空白が生まれ、結果的にそれを穴埋めする形になったのが山城国一揆という事のようです。
 一揆は反乱ではなく同盟の意味であり、合議で物事を解決する方法論が当時の日本にはあったという事ですかネ。といっても主体は国人という小領主であり、庶民の出る幕などありませんでしたがね。
 庶民が選挙権を持っている現代とは比べられないという事ですネ。