ちょっと考察してみた

 まぁ具体的な資料を引用する訳でなく、うろ覚えで考えているだけで資料的価値などまるでないのですがネ。
 先日の幻想TRPGさんで『キルデスビジネス』をプレイし終わった後に主催のGさん(黒くてすばしっこいアレではない)と、ちょろりと歴史談義をしていた時、「今川ってアレですね、そんなに石高多くなかったんですね」という話題がありましてね。確かに江戸初期の石高からすると、駿河遠江を合わせて五十万石ぐらいで、尾張一国で五十万石を超えていた事を考えると、それほどの勢力ではなかったのではないかと、という話です。
 まぁ生産力だけの話ならそうなるのですが、しかしちょっと別の本を読み返してみて、戦国時代までは平野の耕作地よりも山間部の方が生産性が高かったという話を思い出しました。だいたい戦国時代の争論の多くは水利権の取り合いで、山間部の水源に近い方を握っていれば、確かに安定するわな、と。棚田は、山間部まで開発を広げていった結果ではなく、水利権と生産性を求めていたらそうなった、という事だな、と。
 そう考えると平野が多い国を治めるというのも、即生産性には直結しない。それにこの時代、最も石高の高い国は近江ですが、信長の征服戦によって幾多の利権が(主に延暦寺ですが)潰されるまで、支配権が錯綜し一元的な支配がなされた事はありませんでした。尾張も信長による統一がなるまで、守護、守護代二人、そして奉行と公的な支配権だけでこれだけ分割されています。
 今、有光友学という方の今川義元の評伝を読み始めたのですが、今川氏はいち早く検地を行った大名ですけれども、その目的は一元支配を推し進める為でした。生産性では劣るけれども実効性のある支配力を貫徹した方が、年貢の回収率は高いという事です。
 また、この時代は農業生産力が気候が不安定な事もあり、収穫がなかなか安定しませんでした。ではどうするか。だいたい強大化した戦国大名は商業圏を掌握し、そこに矢銭という軍資金をかけています。銭貨ならば保存性は農産物とは比べ物にならないし、かさばらない。物品のやりとりにかけるので、天候が不順な地域から、天候が安定した地域へ農作物が運ばれるなら、その物流によって儲かる仕組みですネ。
 別の方の今川義元の評伝を読んだ時も、今川氏は大井川や富士川といった流通の把握に努めていましたし、海運の活性化をはかっていました。
 つまり石高だけでその戦国大名の実力というものは図れないという事だなぁ、と改めて思いついたと。まぁ、そんだけの事ですがネ。