皆既月食みましたか?
見ましたよ・・・写真でね(ナニ
天文ショウは大好きなのですが、曇っているし、シノビガミのシナリオの準備とかしたかったので見に行きませんでした。ツイッターでも皆つぶやいているし、赤い月とかアップむしてくれているし、これでいいかなーっと。晴れていたらベランダに出て見ましたがネ。・・・酒飲みながら見たかったが、家飲みを禁止しているので、これも見なかった理由の一つ・・・か?
気を取り直して読んだもの。
- 作者: 渡邊大門
- 出版社/メーカー: KADOKAWA/角川学芸出版
- 発売日: 2013/08/24
- メディア: 単行本
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しかし裏を返せば、関ヶ原の敗戦は秀吉の負の遺産というべきものでした。もしも秀吉に秀頼が生まれなければ、豊臣秀次は抹殺される事はなく、それによって秀吉への不満は徳川家康を結集軸にするのではなく、秀次をそれにしたと思われるからです。そうなると内部抗争で秀吉側近が除かれて戦いには発展しない可能性があります。
豊臣秀次という人物は小牧・長久手の敗戦の総大将という事で、また『殺生関白』という悪名で暗愚な人物として描かれる事が多いのですが、実はこの小牧・長久手の戦い以外に目立った失策がなく、東国大名とも親しく、秀吉の後継者として関白を継いでも誰も異論を出さなかった事実があります。誰が見てもダメな人間なら秀吉後継者と認められる事はないでしょうからね。
逆に、徹底して貶められた事にこそ、彼が秀吉後継者として不足なく認められた証拠かもしれません。もし彼が生きていたら、武闘派の秀吉子飼い武将は彼の下に結集し、石田三成とその姻族のみが生贄になって事は終わっていたかも知れません。
そうなると黒田家が「うちのおかげで天下とれた!!」と遺言で言い残す事はなく、大封を得る事もなく、『官兵衛軍師伝説』もなかったでしょうね、たぶん。
また西軍最大の大名でありながら、まったく精彩を欠いた毛利家の事も解りました。祖父元就、叔父吉川元春、小早川隆景に主導されてばかりの毛利輝元には実績が乏しく、それ故に巨大な毛利家を統率しきれなかったこと。そしてその彼自身が遅れて生まれた実子への家督継承を強固にする為に、実績を欲しているように見えます。しかしそれも腰が据わらない。やるならとことんやるべきなのですが、親徳川、親黒田の吉川広家と親石田の安国寺恵瓊との間でぐらんぐらんしています。そこが黒田家の調略の付け目でした。
他にも小早川秀秋の裏切りも、秀吉によって彼の運命が翻弄された結果、とも言えます。
まぁそんな感じです。