五月の東京コミティア受かりました

 例年五月五日のこどもの日に行われる東京コミティアに受かりました。だいたい受かるのですけれどネ。新刊が出ない限りは、売りに行くというよりも買いに行くという感じのコミティアでございます。今回は翌日六日が休みという事もあって、いつもよりも本気で飲めると思います!・・・あれ?
 それはさておき、もう少しで読み終えるもの。

 著者の方は、割とバランスのとれた研究者だと理解しています。なので、この方の理解が、まぁ一番無難なのかも知れない。
 その方をして織田信長は本当に『革新』的だったのか?という検証の本です。結論から言うと、歴史スキー、ノブナガスキーの面々には申し訳ないけれども、人々が考えるほど織田信長は中世を破壊した訳でもないし、プレ近代であった訳でもない。
 例えば領地経営で先駆的なのは、今のところ解っている限りでは後北条氏であり、代替わりには必ず検地(申告制だが)を行い、家臣の領地を一元化させず、各地に点在させ、各家臣に兵力動員を請け負わせ、装備を大名家の指示に従って整える事を強制させています。
 織田家に関しては、そういう記録は残されていません。
 信長が他の大名に比べて抜きん出ていたのは、主導権を握り続けるスピードとプロパガンダ、そして都市より吸い上げる経済力だったのではないか?と思います。兵農分離は少なくとも武田や北条と変わらないと思う。
 必ず敵よりも多い兵力を確保し、即座に行動に移し、戦闘が長期化する場合は有力家臣にその場を任せ、そこよりも緊急性、重要性の高い戦場、案件に本人は移っていく。得た戦果は徹底的に広め、その衝撃を最大限に利用していく。
 特に親衛隊である馬廻を引き連れてのフットワークの軽さがなければ、周囲全てを敵にしてしまった彼に生き残る術はなかったでしょう。
 なんかこういうところはユリウス・カエサルに似ているところがありますネ。性格は真逆なところがありますが。
 やはり勝利の女神は女だから、主導権を握り続けた者になびくのでしょうねぇ。
 あ、最後は部下に殺されたところも似ていますネ・・・