桜は満開です

 土日の嵐?で一気に花開いた感じですヨ。
 土曜日はレーヴァテインさんでトーキョーN◎VAに参加してきました。・・・魔術師って書いてあるのに、どう考えても演出がクレリック系になってしまいまして『異端は消毒だー!』みたいな事を口走る十二歳の乙女をやってしまいました。いや、敵が異端者だったのでネ。魔術師という言葉に惑わされてしまたので最初からクレリック的には動かなかったのですが、最後はきっちりアレ的な、非実体クリーチャーを操る人として描写しました。
 大変困ったチャンプレイでしたがナ(オイ
 まぁいいんですよ。PC?の方が大変美しく物語をまとめていただいたので、その他大勢のアタクシは好き勝手やってもいいよね!(オイ
 日曜日は春の嵐の中、名古屋コミティアに参加。目の前で色々な人が公演しているのを聴くとはなしに聞いておりました。
 その中で聴衆が一番多かったのが短編マンガの作り方を指導されている方の講演で、まぁそりゃそうだよねー。コミティア参加者はオリジナルやりたい人が多いから。
 その話でね、キャラ立ちの重要性を語っていらっしゃいましてね、で、それを聞きながら隣のヨ志ノリさんと話す訳ですよ。「話ありきだよね」「登場人物なんて後からついてくるよねー」「名前なんて記号だよ」「名前すらつけてねーよ」
 少年漫画誌への売り込みを語る場合、キャラ立ちは重要です。キャラそのものが重要なコンテンツであり、その肖像権、映像権というものが収益を生む最大の理由なのですから。
 ところがアタクシたちはストーリーありきの存在でして、こういう話が書きたいから、こういう登場人物が必要である。どうせ細かい設定をつくっても物語とそぐわない設定は使わないから、必要な設定は物語とともにくっついてくる。そう考える訳ですよ。
 なるほど、これが商業的に成功するか否かの違いなのかなぁ、とか思いました。ストーリーが面白ければ(そのストーリーすら勝手に生えていくものと考えている)登場人物の設定はそこまで考えなくても良いと思っているアタクシたちは、そういう意味ではメジャーストリームではないのだのぉ、と思いました。はい。