あ、そうなんだー
また一つ疑問が解けた・・・気がする。
- 作者: 西股総生
- 出版社/メーカー: 学研パブリッシング
- 発売日: 2012/03/01
- メディア: 単行本
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記録に残っていないのですよねー、どういう作戦で戦ったのか?のか、部隊がどう動いたのか?とか、そもそもその部隊はどういう構成だったのか、という事すら解っていない。
この本は一つの回答をくれたみたいです。まだ学会とかは納得していないみたいですけど、状況証拠からすると、戦国大名の動員システムは、領主に人数、装備を細かく指定し兵力を集めさせる。その後、それぞれの兵種別に編成しなおす。
編成した後、訓練しないと戦闘できないじゃないかー、というのが主な反論なのですが、著者は、まず募兵に応じるのは最初から戦士としての技能を持った者が多いということ。馬上の侍は、牢人とか侍階級出身者が多いし、弓にしろ、鉄砲にしろ、それぞれ習熟している者を集めなければならない。
槍は集団で運用するので、未習熟者でも単純な動作を覚えればそれなりに使える。
そして各地で戦闘が行われる日常ですから、訓練をしなくても経験者に教われば、それなりに働ける、というもの。
戦国時代の軍隊は古代ローマの軍団兵とか、近代軍隊とは異なり、そんなに臨機応変に動ける集団ぢゃないですし、集団戦を規律正しく行ったという記録もありませんから、この程度だったのでしょう。
それから、この軍編成がどうも東国の方が先行していたらしいこと。北条、武田、上杉には記録が残っているのですが、戦国を制覇した織田家の記録がない。そして彼が革新的な軍隊システムを考え付いた形跡もないので、著者はその強さを結果論ですが、こう考えます。
織田信長の運と実力で織田家は熾烈な戦いを勝ち抜いていったが、それ故、侍階級の損耗が激しく(重武装の侍は重装歩兵として突破口をつくる役目をし、真っ先に突っ込んでいったから、死亡率も高い)、家柄とか言っていられないから才覚、戦功のあるものを取り立てざるえなかった。そして戦功を立てれば評価されると解れば、どんな階級の者でも死に物狂いで働き、それが苛烈な戦闘力となっていった。という解釈です。
では、その織田信長の強さとは一体なんだったのか?経済力ぐらいしか思いつかないよなー、はい。