ある意味解っていたこと

 そんな本を読みました。

蒙古合戦と鎌倉幕府の滅亡 (動乱の東国史)

蒙古合戦と鎌倉幕府の滅亡 (動乱の東国史)

 この時代は『吾妻鏡』を軸に書状、日記などの古文を精査(という名の解釈合戦)が行われていて、結構研究が盛んで、図書館で論文が借りられるほどなのですが、まぁそれを論者なりにまとめたようなもの?
 ちょっと首をかしげる部分とか、誤字とかが目立ったりしたけどネ。
 承久の乱、蒙古合戦を契機に鎌倉幕府の構成員である御家人が拡散、再編されていくのが解ります。また権力闘争を経て北条氏の族一揆が幕府中央を牛耳っていく様も。
 最近の研究だと北条得宗家は北条家一門の中で相対的な権力を持っていても、絶対的な強制力を持っていた訳ではなく、北条一門や御内人(元御家人などいっぱいいる)、文士あがり官僚系御家人の合議制で運営していたようです。
 鎌倉幕府滅亡の原因は、それらが形式化に陥り、人々が求める仲裁機能を維持できなくなった為に、後醍醐天皇の倒幕に参加していく人々が雪崩を打って増えていった、という。幕府滅亡で消滅したのは、北条一門と御内人文人御家人の系譜ばかりですからネ。
 改めて系統化されると解りやすいですネ。