武士というもの

 これを読みました。

平将門と東国武士団 (動乱の東国史)

平将門と東国武士団 (動乱の東国史)

 観念的な定義ではありませんよ?もともと武士は暴力、殺人の技で公、朝廷に仕える者であり、事務仕事などで仕える文士との対義語でした。
 この本で知った事は東国にかぎらず、武士団というものが自然発生したものというよりも、朝廷の地方支配のあり方が変わった為、それを担う必然性から生まれたもの、と理解すべきだということ。
 大和朝廷時代の地方支配は、地方豪族に官職を与えて実効支配を任せ、税を受け取るというものでした。
 奈良時代になり律令制が施行されると中央から派遣される官僚貴族が国司として派遣されるようになりますが、次官以下を地元勢力に任せる構造は相変わらず。災害や人災などを理由に税の納入が減っていきます。
 それを解消する為に、中央貴族の傍系、あるいは出世コースから外れた血筋の人物が地方に行き、地元有力者の娘と結婚。中央とのパイプと妻の実家の地方における権威、財力を継承し、納税を請け負うという形になっていきます。納税を請け負えるという事は、財力とそれを守る武力があるという事で、兵力を召集する能力がある→武士団という事になります。
 平安中期から派生する武士団はそういった姻族関係から提携している事が多く、中世以降の父系家族が主体になっていく族一揆とは異なるものでした。
 面白いのが先行して地方に出向いた貴族、例えば桓武平氏など、天皇の血を引く一族であるのですが、血統よりも現在の官位の方が重要という感じで、後発で地方にやってきた河内源氏の方が権威があると見ると娘と結婚させ取り込みをはかります。地方で財力を蓄えるのも大切ですが、中央での政治力には官位が必要で、また中世以降の荘園成立にも、それが必要。持ちつ持たれつの関係が見えてきます。
 面白いですね。