信長の城
- 作者: 千田嘉博
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2013/01/23
- メディア: 新書
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主に発掘調査資料を基に、簡単にまとめられたもの。信長が生まれた勝幡城(那古屋城の陥落はその後と断定されたみたい)から城主となった那古屋城、清洲城、小牧山城、岐阜城、安土城、そして考古学的に判定した桶狭間の戦いについて述べられています。
記述の中で著者は繰り返し述べていますが、文字資料を無批判に受け入れて、発掘調査をその文学資料に無理矢理当てはめて評価するという事が横行しているらしく、両方をつき合わせて、自分に都合のいい判断ではなく、客観的な判断で歴史をつづって欲しいですネ。
さて、信長が最初の根拠地にした尾張は平野ばかりの土地で、戦国期に流行した防御力にすぐれた山城を政治的中心地に建設する事はできませんでした。清洲城までは、室町期の館城を多少強化したものばかり。
小牧山へ拠点を移動させてから様相が変わり、畿内で用いられていた石垣構造も取り入れ、更に大手道に直線道を採用して天主を仰ぎ見る配置にし、自らの権威を視覚的に隔絶したものにしていました。
小牧山城は岐阜攻めの為の仮の城というイメージが強いのですが、それは結果論であり、尾張支配の新たな中心として、また新たな支配体制を確立する試金石として近世城下町につながる区割りも部分的な発掘調査や古地図の区割りから推測されるそうです。
天皇行幸を睨んで設置されたとみなされた直線の大手道は、そんな事を想像もできなかった小牧山時代から存在し、防御施設も正門を大手道直線とは直接接せず曲がったその先に設置するなど、防御にも考慮したものでした。
桶狭間の戦いは今川軍の配置が大高城救援を目指したもので、また鳴海城を包囲する形で自らが建設した付け城網から少数の信長軍が出てくる事を想定せず、鳴海方面への備えが弱かったこと。谷沿いに進行した信長軍が今川本陣からその動きが見づらかった事などを論じられています。
こういう風に予断で歴史を論じない姿勢が大切ですよネ。
とかいいながらこれも読んだ。
- 作者: 三谷幸喜
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2013/07/26
- メディア: 文庫
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でも『信長の城』を読んでしまったら清洲城は政治的中心とはいえ、織田家覇業の端緒とはいえない気がする・・・まぁ、いいか!