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 ハードカバーなんですよ(マテ

北条氏権力と都市鎌倉

北条氏権力と都市鎌倉

 鎌倉時代の支配氏族と見なされる北条氏。鎌倉時代は源氏将軍独裁→執権合議→得宗独裁というように支配体制が変遷してきたと言われていますが、本当に得宗が独裁的権力を振るってきたのか?という事を論じております。
 結論から言うと、んなこたーない。従来北条本家である得宗家が支配し、それを他の北条一族に『恩補』として授ける形で分与していたという説が主流なのですが、詳細に記録を調べると、承久の乱前後までは戦功をあげた北条氏個人への賞与となっており、『得宗北条義時の領地は圧倒的には増えていない。
 次に、本来傍系になる筈だった時頼期は彼が若年で、つまり権威も実績もなかった事から、一族の重鎮で長らく六波羅探題を務めた重時が政権に参加する事によってようやく安定をみます。この時期も時頼の領地はそんなに増えていません。それよりも探題とかの職に付随して各地の守護職を与えているようで、従来得宗領国ともみなされた若狭は、六波羅探題に付随していた守護職であったこと。蒙古襲来にともなって防衛強化の為、得宗に支配権が移っても、代替地として摂津や播磨を与えられていることをみて、得宗が強権的に北条一族を支配した訳ではないのですね。
 全体的に見ると鎌倉幕府は、在地での支配を貫徹したい地方御家人が徐々に幕府中央から後退し、鎌倉周辺の南関東に地盤を持つ御家人、特に北条氏とその御内人が幕府支配を担う事になったようです。
 そして、その北条一族と事務方御家人御内人の連合体が末期の鎌倉幕府だったようです。
 なるほどねー。