三国志逍遥

三國志逍遙

三國志逍遙

 逍遥とはそぞろに彷徨い楽しむみたいな意味らしいです。陳寿の『三国志』・・・本人は三書と呼称していたようですが・・・を後世に付加された注を取っ払い、陳寿が何を書きたかっただけを読み取る作業をされた本だそうです。なので文学作品。
 しかし、陳寿が記述内容から三国志に対するイメージが変わります。献帝がいかに曹操を信頼し、政権運営のみならず後継王朝まで託そうとしたか。兄王の子を補佐し、自ら王位につかなかった周公を真剣に理想とし、恐らく皇帝を『君臨すれども統治せず』な存在とした曹操は後世、どんな人物でもやらなかった人だということ。皇帝が真剣に政権を譲ろうとし、主権者が本気で拒否しようとした例は曹操父子しかいないという事を言いたかったようです。
 陳寿は蜀出身の人物であり、諸葛亮に対して好意的であるとされていますが、この本の解釈からするとちょっと違う。そういえば蜀の人物伝は三国の中でもっとも少なく、しかも蜀出身者の記述は極端に少ない。これは諸葛亮が自分に都合のいい記録しか残しておらず、国家としての体を成していなかったこと。『北伐』という事業自体、自分の政権与党を存続させる為、内政の不都合を外交に転化させるという、隣の国とか、大陸とかでよくやられている手法であること。
 また呉の最後の皇帝に対する尋常ならざる評価は、そんな酷い人物を賞して貴族に列した晋の武帝・・・つまり記録係の自分に政治的圧力をかけて政治に都合の良い記述をさせた張本人に対する批判を表明していたこと。
 結構、目から鱗でした。
 曹操父子の評価は、そういう主張を前にも読んだ事があったので納得でしたが諸葛亮ファンが激怒するだろう評価は、なかなか面白くなるほどと思いました。
 泣かない奴は人間じゃない、とまで言われていた『出師の表』を読んでも泣けなくて、なんでこれが名文なのか?日本語訳だからマズイのか?と思った自分ですが、この方の解釈で解りました。『出師の表』とは自己弁護の文章なんですよ。内政の問題から目を背けさせる為の詭弁であり、先代の威光を背景に皇帝を脅迫し自分に逆らうなと念を押す。そういう文章な訳ですネ。
 岩波少年文庫の『三国志』を読んで以来、三国志からみの文章は結構読みましたが、ここまで納得させてくれる文章はなく、ああ、本当に曹操亡き後の三国時代は小物しかいない時代になってしまったのだなぁ、と合点がいきました。
 はい。こいつをタネ本にして曹操ネタの小説を書きたいと思います。はい。