群像劇とかにするといいかも
以前、この方の『天正壬午の乱−本能寺の変と東国戦国史』という本を読んだのですが、今回読んだコレと本来は一つであったものを分冊したらしいです。なので、これで完結?
武田遺領をめぐる動乱と秀吉の野望―天正壬午の乱から小田原合戦まで
- 作者: 平山優
- 出版社/メーカー: 戎光祥出版
- 発売日: 2011/05/01
- メディア: 単行本
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自身の家の復活や、勢力拡大を目論み、あるいは上杉、あるいは北条、あるいは徳川=織田政権に、あっちについたりこっちについたりを繰り返し、争奪戦と滅亡を繰り広げます。大国の思惑によって見捨てられ、滅ぼされていく例もあり、また小牧・長久手の戦いでは同盟者織田信雄の脱落によって和睦を余儀なくされた家康ですが、その後の秀吉側の調略攻勢と同盟者(紀伊一揆、長宗我部、佐々)の敗北により、徐々に劣勢になっていきます。甲斐は織田信長により武田一族とめぼしい国人が抹殺された為、大規模な勢力もなく反乱も単発的で比較的簡単に制圧できましたが、旧来の支配者層がそのまま残った信濃では、それぞれが思惑で動き、ほとんどが自分の支配権から零れ落ちていたような様子。
もしも天正の大地震が起こらなければ開戦、というタイミングと、その後、戦ではなく和睦を選択した徳川家康の政治センスが光っている、と思いました。まぁ災害に乗じて戦をするにしても、隣接している敵領国はかつての同盟者(限りなく主筋に近い)織田信雄のものだし、美濃は秀吉方ですが、去就定まらぬ信濃を介しているので、すぐにでも戦を仕掛けられるような状態ではありませんでしたし、それに家康領国も、かなりギリギリの動員を繰り返していたので、自分を高く売る事ができた家康の政治判断は、優れていると言わざるえない。
というか、これ以後、北条を初めとする関東の領主たちの窓口になった事が家康の政治権力増大のきっかけになったと思うので、家康は博打に勝ったというべきかも知れません。
その後の北条氏の運命と比べると雲泥の差。ある意味北条を踏み台にしたとも言える。
そんな感想を持ちました。