限度は一リットル

 昨日の飲み会で、生麦酒のジョッキにメモリがついていましてね、そのジョッキの上限は0.25リットルなんですよ。つまり飲みながら量が解るわけで、数えながら飲んでいました。五杯飲んだところでお開きでしたので1.25リットルですね。これで結構きていたので、そうか1リットルが自分の限界と覚えておけばいいのだな、と。大瓶二本あけたら自重しろだな、と。
 お腹周りもそろそろレッドゾーンだしナ。気をつけよう・・・
 そして読み終えたもの。

日中戦争―和平か戦線拡大か (中公新書)

日中戦争―和平か戦線拡大か (中公新書)

 十三年前の本なので、また色々と研究が進んでいるのかも知れませんが、学校教育では時間切れで、ほとんど教わる事のない近現代。それも日中戦争は太平洋戦争(大東亜戦争でもいいけど)の裏口として見なされているせいか、あんまり良く知らないのです。八月にやる戦争特集も米軍相手の太平洋の戦場の事を取り上げる事がほとんどだし。
 入門としていいだろうと読んでみたのですが、本当に入門でしかなかった。あう。
 しかし収穫がなかった訳ではありません。当時の日本人にとっての『中国』というものがどんな意識だったのか、そしてその意識こそが八年の泥沼の戦争を引き起こしのではないかと思うのですが、たぶん、そこんとこを解説しないと、日中戦争を理解した事にならないと思います。
 それは・・・『中国』の軽視というか、そこに自我がある事すら否定しているという、なんと言うか、同じ人間として見ていないところ。それは日本だけでなく当時の欧米人全般に言える事で、それは日本への和睦条件を話し合う会議に中国が出席していない事にも現れています。戦争当事者であり、中国の領土が関わるというのに、和平条件の取り決めに中国が噛んでいないというのは、一体どういう事なの?
 当時の『先進国』の人間が中国を軽視する理由は解らないでもないです。劣悪な戦力、当初は日本相手にまともな抗戦ができていないと思われていました。実際は日本が一方的に押しまくった訳でもないのですが、一つの戦力としてカウントされていない。米国は「自分らが協力してやったから戦えているんだろ?じゃあオイラが仕切った条件で満足しろよ」と言っているようなもんです。
 交戦国の日本にも現実を見て中国との開戦否定、早期講和を望む人は、本当に少数ながらいたのですが、主流派は「中国?地域名であって政府じゃないね。分割しても問題なくね?」とか思っている人ばかり。自由自在に切り取り放題と考えている人ばっか。
 そういう甘さが大戦末期に和平の斡旋をソ連に頼むとかいう、後から考えれば敵のボスに和平を斡旋してもらおうって、そんなバカなという事をやっている。まぁ自分たちが同盟しているドイツと戦争していても、自分たちは中立条約結んでいる大丈夫とか思っているとこが天真爛漫ですよネー。
 日本が提示したよりも大幅な利権を連合国から保証されれば、敵の敵は味方論理で組んでいるんだもの、そっちに協力するよね。というか戦車どころか弾薬も底をついた負け組に協力するとかないからなぁ。
 自国を『大国』と思いこむと、それだけで幻想という色眼鏡で見てしまう事になり現実が見えなくなってしまいます。政治家がそういう事に陥ると、悲惨な運命が待っているのだなぁと思いました。
 政治家を幻想から突き落とす為に、時々政権交代は必要だよねーとか思いました。
 ・・・しかし自○党が幻想から自由になれたのは半年ぐらいだったかも知れないけど(あ