頭くらくら

 ご心配なく、いつもの睡眠不足です(マテ
 ゲームをしながら読書していましたが、昨日読み終えた本から何故か連想して毛利元就の妻が主人公という『山霧』をちょろりと読んでみました。永井路子さんの作品です。お方が可愛いのであります。はい。
 しかし読み終えたのは、こちら。

 この著者の方、ご専門は中世で、それもなかなか面白い説を立てられるので結構アタクシ好きなんですが、しかし専門以外は結構通説に則られるのだなぁ、まぁそんなもんかー、とか思ったりしたり。
 という訳で気に入ったところではなく(結構この方の本は目を通しているので、気に入っているところは毎回同じだしナ)、引っかかったところ。信長の残虐性という箇所ですかね。
 確かに信長は伊勢長島一向一揆越前一向一揆比叡山に対して殲滅戦をやり、なで斬り・・・皆殺しをやり、「すっきりしたっ!」と書面で書くような男ですが、まず、書面はプロパガンダの要素があり、信長も自らの戦果を誇張して記す傾向があります。そうでもなくても女子供の区別なく皆殺しにしたという評判は「オレっちに逆らったらこうなる事を覚悟しろよ」という威嚇であり恫喝を含んでいます。それによって敵側に寝返りそうな人間を恐怖で思いとどまらせるという効果が期待できます。もちろん「こんな奴とは組んでいられない」とばかり敵に走る場合もあるかも知れませんが、戦国時代の行動様式としては、酷い目にあわせる人間に対する嫌悪よりも、酷い目にあっているのに手をこまねいている人間の無能さを忌避するので、有効だと思います。足利義昭は領主性は上京を守れなかった事により京の住民によって否定されて、初めて京からの出奔という形になりました。
 あと、殲滅戦は信長だけのものではないということ。私が知っているのは毛利氏が大内=陶氏を破った後、周防に侵攻した時、これに抵抗した国境付近の村々で結成した一揆勢のなで斬り=皆殺しを指示しています。戦国大名というものが上級武士による専制を思考するものならば、共和制の側面を持つ一揆勢力は叩き潰さなければならない必然性を持つ政治勢力なのかも知れません。
 今のところ一揆勢を屈服させた事例は織田家とその後継者、そして毛利氏ぐらいしか私は知らないのですけれど。
 あとは・・・徳川家康への評価がやはり高いということ。家康が織田家宿老扱いになっていて、甲斐、信濃を征服できたのは織田家のバックアップがあったからであり、しかも信濃にはほとんど直臣を入れる事ができず、小牧・長久手戦の後も上杉や秀吉の調略によって、かなりヤバい状態にあったということ。大地震という水入りがなかったら、その存亡は恐らく危うかったことが解ってきていますからのぉ。
 まぁ、オイラだって最新の研究に触れる事ができた分野は詳しくなるけど、そうでなかったらまったく知らないままだもんな。仕方ないよネ。